大野岳烽火場跡 伊万里市南波多町
古賀稔廉氏編「改訂増補 いまりの歴史散歩」伊万里市郷土研究会昭和59年発行257〜259頁に、次のとおり「大野岳烽火場跡」を記しているので、伊万里市大野岳山頂へ現地確認に行った。
防人の山
防人の歴史を秘める大野岳は、伊万里市北東部10kmの所にあり、東は南波多町西は大野町にまたがる標高420mの山で、一名「前平山」とも呼ばれています。地質学的には、第三紀砂岩層の上に玄武岩が乗った形で、八合目程から上層にわたって、玄武岩の風化による巨岩や奇岩がさながら石庭を見るように分布し、頂上は台地状になって牧草や灌木が茂っています。
山頂からは、北に玄界灘と、そこに浮ぶ壱岐、対馬、松浦潟、東に鏡山、作礼山、天山を、西に伊万里湾、平戸島、南遙かに雲仙や多良岳、黒髪、八幡の秀峰を一望におさめ、眺めは正に天下の絶景でもあります。大野岳から展望し得らるるこれらの地は、大陸に最も近く、従って上代から外敵に備え、国土防衛前哨の防人の駐屯地として重要な役割をはたしてきました。…
大野岳山頂にも、防人と烽火場が設けられ、現在も、山上に突き出た方形の自然石よりなる烽台が残っている。標高300mの所にある現在の大野部落に、25人の防人達が十日に一日の休暇を食糧つくりの仕事に当って、自活しながら勤務をはたしたと伝えられています。…(井本寿郎)
大野岳は公園化されており、山頂は駐車場から歩いて5分である。伊万里農林事務所設置案内板では、「かぶと虫の丘」となって、円形の広場となっている。ここが山頂らしいが、後の築山のようでもあり、三角点はやや低い左手前のピークにあった。背後に木立があり、この薄暗い木立内に「防人の峰」碑が立っていた。
いまりの歴史散歩に「山上に突き出た方形の自然石よりなる烽台が残っている」と記すのも、ここのことだろう。防人の峰碑の写真説明には「標高424mの最高地点防人の峰 防人の見張り台があったところ」とある。遺跡ウォーカーHPでも、ここを表示している。
防人時代、なにしろ上代の烽火場跡の話である。完全に遺構が残っている方が不思議だろう。木立内の4隅にそれらしき自然石があったようなので、これと断定するわけではないが、薄暗い中の自然石をともかく撮影してきた。後ろ4枚の写真は、山頂手前の夫婦石園地道祖神と、山頂北側の巨石広場の風景。