鹿児島県のアーチ式石橋 玉江橋  鹿児島市浜町 石橋記念公園内

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鹿児島県のアーチ式石橋 玉江橋  鹿児島市浜町 石橋記念公園内

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」によるデータは、次のとおり。

№265  玉江橋

鹿児島市清水町  石橋記念公園内
(移設後の現況)
橋長:50.74m  橋幅:4.0m  径間:10.2m、11.55m×2、10.29m  拱矢:3.12m、3.87m、3.94m、3.02m
架設:オリジナルは嘉永2年(1849)
平成11年3月、現地に移設
石工:岩永三五郎

玉江橋
「鹿児島市の中心を流れる甲突川の五石橋(武之橋、高麗橋、西田橋、新上橋、玉江橋)は、薩摩藩家老・調所広郷の財政改革(天保年間)の成功により、城下整備の一環として、肥後(熊本県)から招かれた石工・岩永三五郎によって架橋されました。
しかし、平成5年8月6日の集中豪雨による洪水で武之橋と新上橋は流失しました。残った3橋は河川改修計画に合わせて、祇園之洲地区に一体的に移設復元し、末長く保存し活用することになりました。
玉江橋は五石橋の中では一番上流にあり、最後につくられた4連アーチの石橋でした。城下町郊外で通行量も少ないためか橋幅も一番せまく、また他の石橋に比べると建設費も各段に少なく、造りもやや粗末なことなどから実用橋として利用されていたと考えられます。
玉江橋は他の石橋と違い、調査の結果、比較的近年(昭和30年代後半)に至るまで創建時(1849年)の形状を留めていたと考えられます。壁石、水切り石、護床敷石等の補修は、ほとんどが昭和30年代後半に集中しています。
復元に当たりこれらの改修跡、変状跡については写真や周辺部分、類似部分から推定して創建時の姿に復元しました。」