「みさき道」がダイヤランド内を通ったと、どうして判断できるのか

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「みさき道」がダイヤランド内を通ったと、どうして判断できるのか

ダイヤランド内に道塚が3地点にあったことは、団地開発前を知る小ヶ倉柳生れの人の記憶談を得ている。少青年時代この辺をよく歩き覚えており、道塚は三和「みさき駅」前にある現物を見せると、これと同じであったと断言された。現在、蚊焼在住の山村氏である。。蚊焼峠入口の茶屋の特定で奇縁となり、話を聞くうちにダイヤランドに道塚があったと言い、さらに千本山の砲台の件もわかった。たいへん世話になった方である。

ダイヤランドに道塚があった所は、明治地図にある分岐で、文久古地図に地名が表れている「山頭」「一本松」など3地点であると思われる。関寛斎の日記・これらの地図類から当時の「みさき道」はダイヤランド内を通ったことは間違いない。

道塚の所在は、菱重興産を通じ三菱地所開発本社に問い合わせて貰ったところ、今団地内にあるカドムラ企画が当時測量に当られたことがわかった。だが、道塚の所在や当時の詳細な図面は不明であった。