「源右衛門茶屋」は、ダイヤランド入口近く高比良造園内にあったか

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「源右衛門茶屋」は、ダイヤランド入口近く高比良造園内にあったか

この付近は、小ヶ倉茶屋家の所有地である。私は昭和60年頃、ここに「御崎道」の道塚があることは知らなかったが、力士墓があったことは覚えている。ダイヤランドは昭和56年起工、昭和59年4月から販売を開始した。高比良造園はここで店を開いており、植木を買いに行ったからである。力士墓は、平成4年7月相光石油スタンド横に移された。ただ谷桜碑は、なぜか竹林内に残る。

ここに道塚や力士墓があって、茶屋家子孫が茶屋のいわれを、今の力士墓のそばに立派な石碑をもって建立されたことを考えると間違いない。
この茶屋は、明治29年2月当時も営業していたことが、深堀森家の記録(別項)で確認できた。

〔近くにある力士墓と茶屋いわれ碑文〕
この力士墓は天保十年ごろ東京相撲で活躍した「二子島力士」と慶応四年ごろ宮相撲の強豪であった「熊ヶ谷力士」のものである。往時この界隈は、御崎道の主要路で岬の「観音寺」参りの商人や深堀武士達の往来も激しく一軒の茶屋があったと伝えられ、今でも「ゲンネン茶屋」(源右衛門茶屋)と呼んでいる。
近年団地開発が進み付近の様子もすっかり変りこの碑の存在が忘れられ、おろそかにされてきた経過もあったが、父茶屋仙次郎の遺志をくみ、土地造成を機会にこの地に再建立したものである。
平成四年七月吉日      再建者 茶 屋 義 行 筆者 園 田 義 光