長崎の古写真考 目録番号:3863 立神ドック(1)

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:3863 立神ドック(1)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:3863 立神ドック(1)
〔画像解説〕  超高精細画像
この写真は、長崎市街地の長崎港を挟んで西岸の立神にある、三菱会社の立神ドックである。写真右側の海の向こうに東山手居留地が遠望できるが、東山手の丘の上にすでに活水学院の明治15年創建のラッセル館が見えている。明治10年(1877)代後期の写真である。目録番号4729(整理番号93-21)の写真は、ほぼ同じ角度から撮影した写真であるが、施設の整備状況からみて、こちらの写真が5年程経たものである。ドックハウスが完成し、ドックの周りにさまざまな施設が整備されている。ドックには修理のために、戦艦が入っている。立神ドックは明治7年(1874)、フランス人技師ワンサン・フロランの指導によって構築され、明治12年(1879)に竣工した。長さ135.7m、幅33.4m、深さ、11.6mの本格的なドックである。明治17年(1884)7月長崎造船局は三菱に払い下げられ民営になった。写真は明治20年(1887)代の、三菱会社に払い下げられた後の立神ドックを撮影した写真である。

■ 確認結果

朝日新聞長崎地域版2013年1月26日付”長崎今昔 長崎大学コレクション”に、目録番号:
3863「立神ドック(1)」の作品が、「三菱造船所の第1ドック 法規制前、自由に撮影」として掲載された。
新聞記事の解説で、今回も疑問を感じたのは、撮影者を推定する次のキャプションの部分。

「…写真の右隅に「B208 TATEGAMI DOCK NAGASAKI」と印字されています。数字の前にアルファベットがつくのは、イタリア人写真家ファルサーリか東京の鹿島清兵衛、または横浜の江南信國の写真ですが、特定できません。…」

長崎大学データベースで長崎関係をザッと調べると、数字の前にアルファベット「B」がつくのは、次の作品がある。画像が小さいのは、判読不能。
B ?   目録番号:2878 南山手ベル・ビュー・ホテル入口  撮影者:未詳
B 208 目録番号:3863 立神ドック(1)  撮影者:未詳
B 206 目録番号:4215 長崎港と中町教会(2)  撮影者:A.ファサリ
B ?   目録番号:4216 諏訪神社の鳥居(3)  撮影者:A.ファサリ
B 219 目録番号:4802 中島川と万橋  撮影者:A.ファサリ
B 222 目録番号:4803 諏訪神社の鳥居(4)  撮影者:A.ファサリ
B 220 目録番号:4804 中島川に架かる桃渓橋(4)  撮影者:A.ファサリ
B 218 目録番号:4806 南山手からの大浦居留地(4)  撮影者:A.ファサリ
B 203 目録番号:4807 神崎鼻からの鼠島  撮影者:A.ファサリ
B 212 目録番号:4808 長崎ホテル(2)  撮影者:A.ファサリ
B 211 目録番号:4809 長崎駅(現浦上駅)(1)  撮影者:A.ファサリ
B ?   目録番号:4810 諏訪神社旧中門(3)  撮影者:A.ファサリ
? 227 目録番号:4813 茂木街道(5)  撮影者:A.ファサリ

「アルバム名: ファサーリ写真集」からの写真が多いため、イタリア人写真家「撮影者:A.ファサリ」としたのが多いが、はたしてそうだろうか。「東京の鹿島清兵衛、または横浜の江南信國」撮影とは、あまり考えられない。
前の記事で、数字の前にアルファベット「A」がつくのを考えてみた。今回の「B」も、もちろん「特定できません」と断っているが、「撮影者:A.ファサリ」とするのは、数々の疑問がある。ここでは、詳しく述べない。

私が調べた上記「B」リストを参考にして、長崎大学附属図書館及び「長崎今昔」執筆者において、「A」の場合とともに、撮影者の正しい研究を進めてほしい。
「証拠は存在しない。新聞発表に仮説をむやみに使うのは如何かと。…古写真は少数の専門家のものに情報が集中されていると、間違いをディスカッションによって訂正していくプロセスが失われてしまいます」との感想を聞いている。
朝日新聞「長崎今昔」で、最近4回立て続けにこのような事例があった。あえて問題としておく。