長崎の幕末・明治期古写真考 写真の開祖上野彦馬 130P 小菅造船所
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。
産業能率短期大学出版部「写真の開祖 上野彦馬」 130〜131P
227 — 小菅造船所 明治10年代(1880)撮影。フランス人、ワンサン・フロランの指導のもとに着工し、明治15年5月完成。エントツの建物はポンプ室。現在の三菱造船所。
目録番号:3863 立神ドック(1)
〔画像解説〕 超高精細画像
この写真は、長崎市街地の長崎港を挟んで西岸の立神にある、三菱会社の立神ドックである。写真右側の海の向こうに東山手居留地が遠望できるが、東山手の丘の上にすでに活水学院の明治15年創建のラッセル館が見えている。明治10年(1877)代後期の写真である。目録番号4729(整理番号93-21)の写真は、ほぼ同じ角度から撮影した写真であるが、施設の整備状況からみて、こちらの写真が5年程経たものである。ドックハウスが完成し、ドックの周りにさまざまな施設が整備されている。ドックには修理のために、戦艦が入っている。立神ドックは明治7年(1874)、フランス人技師ワンサン・フロランの指導によって構築され、明治12年(1879)に竣工した。長さ135.7m、幅33.4m、深さ、11.6mの本格的なドックである。明治17年(1884)7月長崎造船局は三菱に払い下げられ民営になった。写真は明治20年(1887)代の、三菱会社に払い下げられた後の立神ドックを撮影した写真である。
■ 確認結果
「写真の開祖 上野彦馬」は、「小菅造船所」と解説しているが、目録番号:3863「立神ドック(1)」のとおり、「立神ドック」が正しい。
長崎港を挟んで、立神の対岸側が小菅であり、ソロバンドック(小菅修船場)がある。