徳 島 城 徳島県徳島市徳島町
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徳 島 城
概 要
徳島城はJR徳島駅の北側にあり、徳島市の中心部に位置する。
吉野川河口付近の中洲に位置する標高61メートルの城山に築かれた山城と城山の周囲の平城からなる、連郭式の平山城である。
歴史・沿革
徳島城
戦国時代になると、阿波の地は群雄が割拠し、しばしば城主が入れ替わった。1582年(天正10年)には土佐国の長宗我部元親が侵攻し阿波が平定された。
1585年(天正13年)、豊臣秀吉の四国征伐に勲功のあった蜂須賀家政(蜂須賀正勝の子)が阿波1国18万6000石を賜った。入封当初は徳島市西部にあった一宮城に入城したが、入封早々に現在の地に大規模な平山城を築造し、翌年完成した。
以後、江戸時代を通して徳島藩蜂須賀氏25万石の居城となり、明治維新を迎える。
廃城後
1873年(明治6年)に発布された廃城令により存城処分となり、1875年(明治8年)には鷲之門を除く御三階櫓以下、城内のすべての建築物が撤去された。1905年(明治38年)の日露戦争の戦勝を記念して、城跡の大半が1906年徳島公園(現 徳島中央公園)として開設され、1910年一般に開放された。
1941年(昭和16年)には表御殿庭園が国の名勝に指定された。明治以降の城地は石垣と堀、庭園、鷲之門のみが残った。
太平洋戦争中の1945年(昭和20年)7月4日の徳島大空襲により、城跡内のほとんどの建物と共に、唯一現存していた鷲之門も焼失した。しかし1989年(平成元年)に、鷲之門が復元された。