長崎外の古写真考 目録番号: 5808 明治天皇妃肖像(1) ほか

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号: 5808 明治天皇妃肖像(1) ほか

「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号: 5808 明治天皇妃肖像(1)

目録番号: 5810 明治天皇・同皇后・皇太后肖像

目録番号: 5855 明治天皇及び同皇后肖像

目録番号: 6329 明治天皇妃肖像(2)

■ 確認結果

データベースにある上記目録番号の明治天皇及び同皇后などの肖像・御真影は、目録番号:
5855「明治天皇及び同皇后肖像」がはっきり確認できないが、すべて宮内省御用掛写真師「内田九一」の作品であろう。
明治6年(1873)10月8日に、洋装礼服姿の天皇を、同14日に和装の皇后を、皇居吹上御苑写真場において撮影している。明治5年(1872)8月5日撮影は?
次HPを参照。

「ウィキペディア フリー百科事典」 内田九一
http://ja.wikipedia.org/wiki/ 「内田九一」で検索
明治2年(1869年)、東京浅草大代地で写真館「九一堂万寿」(くいちどうまんじゅ)を開業、「東都随一」の写真師として名を馳せた。明治5年(1872年)、明治天皇の西国御巡幸の際、宮内省御用掛の写真師第一号として随行し、名所旧跡の写真を数多く撮影。御巡幸出発前の明治5年(1872年)4月に束帯姿と小直衣・金巾姿の天皇を、翌年(明治6年)10月には洋装礼服姿の天皇を撮影し、後者を複製したものが「御真影」として地方官庁・学校などに下賜された。…明治8年(1875年)2月に死去。享年32。九一が撮影したネガは日下部金兵衛が引き継いだ。…

「囂庵の幕末明治の古写真」
http://www.gouann.org/new_box/meijitei_photo/meijitei_photo.html
皇居吹上御苑写真場の写真 明治五年
明治天皇紀 明治五年八月五日  天皇皇后の御写真撮影  皇太后の御写真撮影
曩(さき)に*1 天皇・皇后、寫眞師内田九一を召して各々御撮影あり、
皇居吹上御苑写真場の写真 明治六年
明治天皇紀  明治六年十月  御写真撮影
八日 午前十時御出門、吹上御苑に幸す、午後三時瀧見御茶屋に於て行厨を取らせられ、召に応じて参苑せる熾仁親王・嘉彰親王及び従四位由利公正・同佐々木高行に酒餅を賜ひ、五時三十分騎馬にて還幸あらせらる、是の日、宮城内写真場に於て、新制の軍服を著して撮影あらせらる、十日成れるを以て上る、全身・半身の二種ありて、全身の聖影は大中の二型あり、共に帽を脱して卓上に置き、剣を杖つきて椅子に凭りたまへり、
明治天皇紀  明治六年十月  皇后御写真撮影   (4枚目の写真は、同HPから)
十四日 皇后、午前十時御出門、吹上御苑に行啓あり、先づ梅御茶屋に御少憩、尋いで写真場に入りたまひ、和装にて撮影あらせらる、紅葉御茶屋にて御晝餐を取らせらるゝ後苑内を御遊歩、午後五時二十分還啓す、