脇岬観音寺が禁制品の交易の場か。また、その商人の経堂が残るか

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脇岬観音寺が禁制品の交易の場か。また、その商人の経堂が残るか

脇岬観音寺については、長崎県文化振興課 HP「長崎文化ジャンクション 文化百選」 みなと編の長崎・西彼[8]脇岬港(西彼野母崎町)が同寺にふれている。長崎新聞社から同じ内容の本が平成6年発行されている。この中に次のとおりあった。

「御崎(みさき)観音と呼ばれ、信仰を集めている地区の古寺・観音寺の境内は江戸時代、長崎奉行所の目を盗み中国から禁制品を運び込んだ交易の場だったとされ、膨大な利益を得た中国商人が罪滅ぼしに寄進したという経堂が残っている」

史料は何から引用し、経堂は現存するのか。長崎県文化振興課に照会したところ、長崎歴史文化博物館本馬先生が次のように調べてくれ、懇切な回答をいただいている。

「私自身観音寺には、そのような経堂が存在するとは聞いたことがありません。あの「文化百選」は長崎国際大学の立平教授たちが委員となり、長崎新聞のOBの人が書いたように記憶しています。伝承を記した本からの孫引きの可能性が強いと思います。唐人関係の「書画」は確かに観音寺にありますが、これは長崎市の文化財に指定するとき、私も観音寺に調査に行って実見しました」

徳山光著「西彼杵郡野母崎町の寺(下)」には、天明期ころ「経蔵(唐船方日雇頭中)」の寄進があったことを記してはいる。