水徳尊神石 妙相寺上地蔵堂の脇
長崎市本河内町妙相寺から上の不動の滝に行く右道脇にある。この石碑を見たとき、大きな上の字は左から読めば「水道神」。普通のは「水神」であり、「水道神」とは、この下流に明治24年、倉田水樋に代わる近代的な上水道として建設された、横浜・函館に次いでわが国3番目の本河内水源池があり、貯水池式ではわが国最初であったので、この水源の神かと一瞬思って、珍しく感じ写真を撮ってみた。
帰って調べると、正体は違った。次のとおり岩永弘著「歴史散歩 長崎東南の史跡」2006年春刊、妙相寺の項25頁に説明があった。
(7)水徳尊神石(地蔵堂の脇)
公園道脇を200mほど登った所にあります。此の石碑は此処より更に石段を80段余り登った不動の滝(現今水量微々)の岩場に据えられていたものが昔日の豪雨等で流出して、此処に祀られたものです。長崎市史の記録を見ると享保2年(1717)第三代毒流が滝付近に東京の亀井戸天満宮に擬した立派な石橋、石段を設けて、天満宮を祀ったので世人も亀井戸天満宮と称したとあります。そして文化11年(1814)第十三代大廣が滝壺の上に水徳神石として祀ったものですが、豪雨で流出し此処に据えられたものです。
(正面) 神 水徳尊神 文化十一甲戌年
道 織津姫命
水 辦才有徳天 三年吉日 野村守平敬白