長崎大学医学部構内 長崎市坂本1丁目
先日の記事「開院150周年長崎大学病院」に続き、きょうは長崎大学医学部構内を訪れてみた。次は長崎大学医学部HPの医学部長あいさつなどから抜粋。
良順会館内の「150周年ミュージアム」(史料展示室)及び「原爆医学展示資料室」や被爆遺構は、あとの記事とする。キャンパスマップはズーム拡大。
長崎大学医学部は日本最古の医学部として、2007年11月12日に創立150周年を迎えた。「良順会館」の建設、長崎大学医学部のこれまでの歴史を著わした「創立150周年記念誌」の発刊、国内外から多くが参加した「記念式典」などの事業が行われた。
長崎崎大学医学部の歴史は1857年オランダ海軍軍医ポンペ・ファン・メールデルフォールトと松本良順によって開設された長崎奉行所西役所医学伝習所にまで遡る。長崎大学医学部の創立記念日である11月12日はポンペが松本良順とその弟子達12名に最初の医学講義を行なった日を記念したもの。
1861年には彼らの熱意により長崎港を見おろす小島郷の丘に西洋式の病院で医学校である小島養生所が完成し、ここで多くの日本人医学生に対して系統講義とベッドサイドティーチングが行われ始めた。ポンペは貧富や身分の差別なく患者の治療にあたったことから当時の人々からは驚きをもって迎えられた。彼が説いた「医師は自分自身のものではなく病める人のものである」という素晴らしい言葉は校是となった。