長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:1020 皇居内濠(1)
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。
目録番号:1020 皇居内濠(1)
〔画像解説〕
水鳥が泳ぐ壕の対岸、左手に一棟(書院?)、右手に一棟(茶室?)建物が見える。背景には背の高い木立が見える。撮影場所の詳細は不明。
■ 確認結果
目録番号:1020 皇居内濠(1)は、HP「森川和夫:廣重の風景版画の研究ー(1)」古写真で読み解く広重の江戸名所 に同じ写真が掲載され、撮影場所を次のとおり説明している。
75.名所江戸百景 赤坂桐畑
溜池といえば、現在は地名として残っているばかりだが、明治初年までは、赤坂御門外より山王の宮の麓を東南にめぐり、虎の御門近くまで伸びる大きい池であった。江戸名所図会はこの池について、「昔、神田、玉川の両上水、いまだ江城の御もとへ引かせたまはざりしその以前は、この池水を上水に用いられしとなり」とも記している。
この溜池の南側、日吉山王権現の対岸なる松平美濃守の中屋敷前辺りを俗に桐畑といった。…
名所江戸百景赤坂桐畑
名品揃物浮世絵10広重I〔江戸名所物〕(ぎょうせい)
明治初年の溜池のほとり
目で見る千代田の歴史(千代田区教育委員会)
さて、写真は明治初期の溜池である。この写真は、数少ない溜池の写真で、矢田挿雲の「江戸から東京へ」にも掲載されている。もともとこの写真は1872年5月16日号の「The Far East」紙に貼られたもので、「View on the Moat, Yedo」というキャプションがついている。そのためか、江戸城内の写真とする向きもあるが、これは紛れもなく溜池の写真である。「The Far East」紙にはこの写真の説明があるので、参考までに拙訳を記しておきたい。
「これは江戸城のお堀で、赤坂御門はこのすぐ近くである。日本では、この時節になると、木立の繁みは、その色も姿も、世界の他の国では見られないほど変化に富む。この写真の背景にあるような美しい水際の緑は実は国中何処へいってもお目にかかることができるのである。竹の葉は軽く、また柔らかく、椿や松の木が濃やかな陰をつくっている。そしてその間に叢生する潅木の種類も豊富で、それが、見る者の目を楽しませてくれるばかりでなく、気分も一新させてくれる。江戸にはこのような美しい自然を見られる場所がざっと数えただけでも二十ヶ所ぐらいはあろうか」
外国人が幕末の江戸の美しさ、緑の多さを賞賛した話は多い。この「The Far East」紙の記事もその一つであろう。さて、広重の絵との関連で見ると、この写真に桐の木が写っていないのは致し方ないとしても、もう少し広角で撮られていて、周囲の景色が写っていれば申し分なかったのだが。それにしても、この写真は広重の絵の一部を切り取ったような趣である。池辺に写っているのは、山王権現の僧坊で、社僧には園成院・成就院・玉蔵院・長命院・福聚院・智光院・宝泉院・無量院・智乗院・常明院の十坊があった。
実はもう一枚、溜池の写真がある。回を改めて採り上げたい。