長崎外の古写真考 目録番号:1009 愛宕山百段男坂(1) ほか

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:1009 愛宕山百段男坂(1) ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:1009 愛宕山百段男坂(1)
〔画像解説〕
愛宕神社東側社前の急斜面にある男坂。百段とあるが実際には86段。現在の坂は戦災後昭和41年のもの。講談・浪曲の『寛永三馬術』で有名。鳥居の傍らに茶店が見える。右手に緩やかに登っているのが女坂(109段)。

目録番号:1008 愛宕下の墓地
〔画像解説〕
愛宕下とは愛宕山付近の東部低地一帯の俗称。写真は愛宕山から墓地・寺院を俯瞰したもの。愛宕山山上には京都愛宕神社を勧請した愛宕神社がある。江戸時代には雪見月見の名所であった。

目録番号:1090 愛宕山頂の神社(1)
〔画像解説〕
愛宕山山上にある京都愛宕神社を勧請した愛宕神社。左後方に鳥居と社殿が見える。大きな鉄灯籠の前、子供たちがこちらを見ている。右手の休み処からは眺望が開けている。江戸時代、愛宕山は雪見月見の名所であった。

目録番号:4584 愛宕山頂の神社(2)
〔画像解説〕
『ファーイースト』の1871年6月12日(旧暦明治4年4月29日)号に貼られた写真を、後に複写彩色して販売したものと思われる。『ファーイースト』は鶏卵紙の写真を貼り付けた英字新聞(後に月刊絵入雑誌に変更)。当時は1枚ずつ太陽光で焼付けたので、数種のネガを使用している。子供が7人居る写真もある。奥は火伏せの神として信仰された愛宕神社。

■ 確認結果

目録番号:1009「愛宕山百段男坂(1)」、目録番号:1008「愛宕下の墓地」、目録番号:1090「愛宕山頂の神社(1)」は、横浜で発行された英字新聞”THE FAR EAST”Vol.2 No.2 1871/6/16 にいずれも掲載された作品。

4枚目の目録番号:4584「愛宕山頂の神社(2)」は、掲載月日が違うし、子供が7人いる3枚目の目録番号:1090「愛宕山頂の神社(1)」の方が、新聞の掲載写真のようである。
”THE FAR EAST”は、九州大学デジタルアーカイブ本山文庫から。

愛宕山は、標高25.7m。現在の東京都港区芝愛宕1丁目、国道1号(桜田通り)と日比谷通りの間を南北に通る愛宕通り沿いにある。江戸から明治期にかけては東京湾、市中の眺望にすぐれたらしいが、現在は木々に囲まれ、樹林の隙間から見える景色も、ビルに囲まれ山頂にいる実感はもてないらしい。