ゴルフ場道塚に刻む「川原道」の実地踏査 (宮崎ダムー徳道間)

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ゴルフ場道塚に刻む「川原道」の実地踏査 (宮崎ダムー徳道間)

平成2年11月「三和町 今昔2」53頁は、「徳道」の風景。「昭和30年ごろまでは、この山道を、毎日子供達は学校に通っていました。小学校まで約1里あります。今はだれも通らなくなったこの旧道に地蔵菩薩だけが残されている。…」
地蔵菩薩は、「夜泣き地蔵(川原の森園地蔵)」という。平成15年、この谷に「宮崎ダム」が造られ、ダム展望広場先の車道脇へ移設された。
森園地蔵は次を参照。 https://misakimichi.com/archives/207

みさき道の途中、野母崎ゴルフ場管理事務所内にある道塚2本。No.⑧は、墓石を転用。正面は地蔵彫刻。右側面「右 御崎道」左側面「左 川原道」。No.⑨は、その奥5mに立つ。正面「みさき道 今魚町」左側面「上 川原道」。
通学路は想い出をコメントなどで聞いていたが、私にとっては、すなわちゴルフ場道塚の「川原道」。以前から一度は実地踏査を考えていた。

道塚に刻む「川原道」は、みさき道から分岐し、今、管理事務所となった裏手を上がる。旧町境鞍部を越して、徳道の集落へ行く。現在の便利な車道は、昭和35年頃、できたようだ。
徳道公民館までしばらく車道を行く。公民館裏手に集落の古い水場があり、水場先の竹林を抜けると、宮崎ダムの左右から上がってきた車道合流点に出る。
ここまではわかっていたが、この先まっすぐ尾根から谷間を下る道。車道が開通するまでは、川原小学校へ通った山道の通学路であり、地区住民の重要な生活道(木場回りに車道?)だった。

2月23日、鶴山の帰りに宮崎ダムへ下る。川下からが調べやすいだろうと、思いたってこの道を上部へ踏査した。明治34年測図国土地理院旧版地図は、上図のとおり。
ダムで寸断されたため、入口は不明。長年、人はまったく歩いていない。途中で川の左右岸沿いに旧道発見。水路跡や渡りの桁石橋が2橋残っていた。「吠え岩」とか「立石」という岩はわからなかった。瓦に埋もれた廃家跡1軒があった。
徳道集落に近い上部は、車道や農道が入れくり、先はまたどの道か不明。宮崎ダムの左右から上がってきた車道合流点に、すんなり出なかったので、次としたい。