長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号: 918 瀬戸内海大島
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。
目録番号: 918 瀬戸内海大島
〔画像解説〕
英語で「瀬戸内海の入り口近くの大島」と解説されている。愛媛県の大島と思われる。潮の干満に合わせて船が着岸できる、船着き場が材木で組まれている。民家は山の斜面まで見られるが、瓦葺きの屋根が多い。
■ 確認結果
目録番号: 918「瀬戸内海大島」は、横浜の英字新聞 THE FAR EAST Vol.2 No.8
1871/9/16 に掲載された写真。英語で「瀬戸内海の入り口近くの大島」と解説されているとおり、愛媛県今治市の「大島」だろう。
大島には現在、西瀬戸自動車道(しまなみ海道)が通る。吉海町臥間の下田水港対岸から亀老山(標高301.3m)を望んだ光景と思われる。地元で検証をお願いしたい。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』による大島の説明は次のとおり。現在の写真も同
HPから。来島海峡から望む亀老山。
大 島 (愛媛県今治市)
大島(おおしま)は、愛媛県に属する面積41.89km²(2004年現在、国土地理院)の島。芸予諸島に属する。行政区分は越智郡吉海町と宮窪町の2町に分かれていたが、2005年1月16日に今治市などとの合併により同市の一部となった。旧町時代には伯方島、大三島とともに三島五町と総称されていた。
島の北東部の宮窪地域は、中世に瀬戸内海を舞台として縦横に活躍した村上水軍(能島村上水軍)が本拠をおき、水軍遺跡や言い伝えも多数ある。これにちなみ、宮窪港を会場に村上水軍にちなんだ水軍レースなどのイベントが毎年7月に開催され、多くの人でにぎわう。特産品には大島石等がある。