長崎外の古写真考 目録番号:5581 海上の半島

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:5581 海上の半島

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:5581 海上の半島

目録番号: 314 備後鞆津の弁天島
〔画像解説〕
福山の南にある鞆は奈良時代以降,瀬戸内の海上交通の要衝として栄えた。沖合いに浮ぶ仙酔島,弁天島,皇后島等は「日東第一形勝」として江戸時代,朝鮮通信使・李邦彦によって賞賛された。写真中央にある弁天島には文永8年(1271)の石製塔婆や宝形造の弁天堂がある。

■ 確認結果

目録番号:5581「海上の半島」は、目録番号: 314「備後鞆津の弁天島」にあるとおり、広島県福山市鞆町の鞆の浦海岸の「弁天島」や「仙酔島」であろう。
現在の写真は、鞆の浦 / 幕末の町並みが残る港 (福山市鞆町) | 福山特産・沼隈ぶどう田中商店HPから鞆・海岸から臨む弁天島。同説明は次のとおり。

< 鞆の津 / 鞆の浦 / 鞆(※) >
鞆の浦は広島県福山市南部に位置し、同公園を代表する景勝地として知られる(国の名勝にも指定)。瀬戸内海国立公園開所当初の指定地のひとつ。鞆港や仙酔島などを含む地区で、内海交易や寄港地、中継貿易地として発展した。とりわけ、福禅寺境内にある対潮楼から望む仙酔島は、朝鮮通信使の李邦彦により、「日東第一形勝」と絶賛されたことは有名。また仙酔島自体も雄大な海食崖や海食洞が見られ、変化に富んでいる。最高峰の大弥山は瀬戸内海を一望し、観光遊歩道が設けられている。また、鞆は文化地区としても価値が高く、現在も当時の港町の繁栄を残す町並みが残り、古くからの社寺も見られる。
Wikipedia「瀬戸内海国立公園/鞆の浦・阿伏兎(あぶと)岬」の項より一部引用