茂木地区にある指差し石柱の施主がわかる
藤田尾の消防団分団前の車道分岐を左へ下ると浜に出る。
浜の右手前にゲートボール広場があり、これから歩いて藤田尾川河口の小さな鉄橋を渡ると、青屋根の32番所札所がある。道は上って集落へと続く。最初の写真のとおりの光景。浜手前からのこの道は、昔の街道みちである。
大正七年架けられた石橋の「架橋碑」とその残骸(別項)もここにある。橋を渡って道の右脇を注意して見て歩くと、3本のコンクリート石柱が続けてある。
まずは「長崎県」境界柱。えらく凝った昔の字で古めかしく珍しい。これと同じものは伊王島灯台入口バス停付近にもあった。次は上に「指差し」マークがあり、その下に「茂木町 施主 川浜奥四郎」と字の彫りがある。その次は道角に「指差し」のマークのみの石柱が立てかけられている。
「指指し」マークのコンクリート石柱は、これまで茂木地区で2本見ていた。河平バス停下の「戸町二至ル」標石の対面角と、重篭轟の滝の手前分岐にあった。(それぞれの別項に写真を掲載)
施主を刻んだのを、この藤田尾で初めて見た。この石柱は札所の案内であると聞いていたが、重篭轟の滝は現在の札所に入ってない。作成年代も、藤田尾は昭和22年茂木村から為石村に編入された。その前に設置したとも考えられる。
コンクリート製で新しい年代のものと考えられるが、いつの頃、だれが、どこに、何本設置したか、調べればおもしろい。茂木地区は「茂木町新四国八十八ヵ所霊場めぐり」が昭和4年頃できた。これと関連がやはりあるのかも知れない。施主がわかったのは、調べる手掛かりができた。