長崎市制120年のあゆみ展 (4) 高島への海底水道工事
長崎市制施行120周年記念「長崎市制120年のあゆみ」企画展は、4月に長崎県美術館(出島町)、5月に歴史民俗資料館(平野町)で開催された後、合併各地区を巡回し、11月17日三和地区で終了した。
古写真の展示が主。古写真の内容は会場によって変えている。そして、合併町独自の町を振り返る写真がある。たまたま見学した最終日の三和公民館会場の展示。タイトル・撮影場所・説明など内容に疑問を持った古写真の、現地確認などの結果を報告する。
〔写真説明〕
昭和32年頃 岳路海岸の異変? 高島への海底水道工事が始まると、静かな集落は、世紀の大事業に連日見学者が集まった。
〔写真説明〕
昭和32年頃 岳路海岸で世界初! 高島への海底水道工事。
■確認結果
●海底水道 「…水のない苦しみとの闘い−それが高島の水の歴史である。(中略)大正時代から昭和32年まで約40年間は長崎市の鹿尾川の水を給水船で運搬した。給水時間になると、どの家からも人が出て、1日におけ1,2杯の水をかついで運び飲料水にした。しかし、海上が荒れると、その船も来なくなることがしばしばだった。(中略)水の苦しみから町民を解放したのが昭和32年10月13日、日本の最先端技術を駆使して完成した海底水道だ。西彼三和町と高島町を結ぶ延長約5キロの高島海底水道は世界初の画期的工事といわれ、町民は世紀の送水に喜びに沸いた」 (長崎新聞平成8年5月13日付「わがまち水物語」から)
海底水道の詳しいことは、「海底の生命線」を参照。
http://www.gunkanjima-odyssey.com/GS22-06-03.htm
トップページは、軍艦島オデッセイ − O project presents | Gunkanjima Odyssey −
http://www.gunkanjima-odyssey.com
以上が概要だから、古写真の説明は「高島・端島への海底水道工事」とした方が良いのではないか。最初の古写真の工事現場は、岳路海水浴場がある海岸部でなく、100mほど手前の車道から右折した所の道路地下に中継貯水槽があった。古写真の背景から、このあたりの光景と思われる。
後の写真は、沖の右が「高島」、左が「端島」(軍艦島)。高島には現在も送水している。海水浴場右側に海底工事現場跡?が見られ、砂浜にも支柱のコンクリート礎石片が残っていた。
高圧電力海底ケーブルもこの海岸から敷設されている。