市制120年のあゆみ展  (2) 長崎駅前

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

長崎市制120年のあゆみ展  (2) 長崎駅前

長崎市制施行120周年記念「長崎市制120年のあゆみ」企画展は、4月に長崎県美術館(出島町)、5月に歴史民俗資料館(平野町)で開催された後、合併各地区を巡回し、11月17日三和地区で終了した。
古写真の展示が主。古写真の内容は会場によって変えている。そして、合併町独自の町を振り返る写真がある。たまたま見学した最終日の三和公民館会場の展示。タイトル・撮影場所・説明など内容に疑問を持った古写真の、現地確認などの結果を報告する。

〔写真説明〕  長崎駅前
昭和17年頃、長崎駅前の大黒町付近。車の走る様子はなく荷物は馬車に引かせ、人は歩くか自転車に乗る程度である。

■確認結果

長崎市広報課の所蔵写真らしいから、撮影年代の「昭和17年頃」、場所の「長崎駅前の大黒町付近」は間違いないと思われるが、この古写真の別のポイントは、中央右の広場に電車が走り、奥の高台には寺が写っている。
これらの説明が必要であろう。電車について言えば「人は歩くか自転車に乗る程度である」とはならないと思われるし、寺については長崎駅前では、筑後町「本蓮寺」が考えられる。

現在の長崎駅前は高いビルが建ち込み、本蓮寺はまったく見えない。西坂公園入口に行ってやっと見えた。本蓮寺の昔の建物は国宝だったが、原爆のため山門・本堂など全て焼失した。
現地説明板から戦前の本蓮寺の姿を写してきた。古写真では本堂真下の大きな山門が確認できない。駅前から寺を眺めると、本堂の後ろに山が写つるようだし、山門と本堂の配置、同建物の姿がしっくりいかない。

同じような構図となる寺は、銭座町に「聖徳寺」がある。ここも原爆により焼失。戦前の寺の姿の写真を写させてもらった。本堂両脇の石燈籠だけ残り、原爆落下中心地公園に移設されている。
ここでは本堂の後ろに山はないが、本堂の姿がこの寺も合わない。電車の線路は、ここから以前は長崎駅前の方へ国鉄鉄道沿いに走った。

撮影場所ははたしてどちらか。可能性としてはやはり「長崎駅前」付近、寺は「本蓮寺」と考えられるようだが、詳しく検証して古写真説明に反映してほしい。