諌早—有喜街道の標石 長崎刑務所跡角に残る

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諌早—有喜街道の道塚 長崎刑務所跡角に残る

諌早市野中町にあった長崎刑務所は、今、建物の一部の取り壊しが始まり、市南部地域の町づくりが推進されている。ここの西角となる交差点の歩道上にこの標石がある。明治33年建立のものだが、諌早と有喜、そして当時江ノ浦だった貝津方面を結ぶ重要な街道筋だったと思われる。

刻面は4面にあり。「←有 喜 →諌早町」「→江ノ浦貝津」「北—南 諌早村大字上□」「明治三十三年十月一日建」。□は損傷部分。寸法は15cm角、高さ80cmくらい。近くで聞き込みをしたが、これ以外はないらしい。
この標石のことは、「長崎の標石」で検索するとHP「ALL−A」があり、2007.6.9記事「旧長崎刑務所近傍の標石」で紹介されているのを知り、ローソン近くにあるとのことで見に行った。

場所は長崎から行くと、総合運動公園前の国道57号線を通り、たちばな信金先の交差点から左に入る。ローソンの先が刑務所跡の角地で、諌早農高の入口前となる。