鳴滝と鳴滝岩

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鳴滝と鳴滝岩

長崎市立博物館「長崎学ハンドブックⅡ 長崎の史跡(南部編)」98頁の説明は次のとおり。

鳴滝は、もともと平堰と呼ばれたが、延宝年間(1673〜81)に長崎奉行牛込忠左衛門勝登が鳴滝と命名したという。かつては「春は桃花水に流れて錦繍を洗うが如し」などと詠まれ、長崎十二景の一つに数えられた名勝の地「鳴滝浣花」であった。現在でも岩面には「鳴瀧」と刻まれているが、これは林道栄の字とも晧台寺21代住職黄泉の字とも伝えられている。

林正康先生の「長崎県の山歩き 新版」(葦書房2000年)209頁にまた詳しい説明があった。

桜馬場中学校前をすぎて左に曲がると、シーボルト通りです。鳴滝川に橋がかかっています。この橋の下に「鳴滝岩」があります。旧地名は「平いで」と言っていましたが、延宝年間(一六七三〜八一)長崎奉行牛込忠左衛門が「鳴滝」と命名して、儒者の林道栄が書いた「鳴滝」の二字を川の中の岩に刻んだそうです。その後「鳴滝」の文字がよく見えなくなったので、文政十一年(一六二八)に庄屋の森田氏が、晧台寺の住職黄泉の書を再刻したということです。

下2枚の写真の碑は、記念碑、シーボルト通り、鳴滝橋の碑。