長崎学と「ゆうこう」  寄稿 川上 正徳

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

長崎学と「ゆうこう」  寄稿 川上 正徳

私が純心大学「長崎学講座」を最初に受講したのは平成10年でした。12年の講座終了後の茶話会で受講生の中島 勇氏から「岬道」を歩く三和町公民館行事の案内を受け、翌年早々参加しました。その13年4月、私は支所長兼土井首地区公民館長の発令を受け、早速、公民館活動で地元の歴史を学んでもらうため岬道を歩くことにしました。しかし、地元では深堀の殿様が佐賀藩へ行き来した「殿様道」があるので公民館講座では「殿様道」を歩きました。

その下調べでダイヤランドから山へ入り「ゆうこう」という蜜柑と出会いました。正式な名前が知りたくて「ゆうこう」の樹の写真をNHK趣味の園芸へ投稿したところ、12月、(独)農業研究機構果樹研究所かんきつ研究部の根角博久氏から手紙が届き、NHK出版から頼まれたということで「ゆうこう」の調査が始まりました。研究所のある焼津市へ種子や果実を送ったり、地元の協力で分布図、樹高、樹幅、幹周を調べ、根角氏が更に研究し出された結論は、「ゆうこう」は新種であるということでした。

「ゆうこう」は地元では古くから酢の物や遠足のジュース代わりに使われてきた蜜柑なのに新種という望外な結果で地元の皆さんも喜んでいただきました。この経緯は「長崎の空」第11集に掲載され、長崎県果樹研究所へ異動された根角博久氏が日本園芸学会へ発表されたのは平成16年9月でした。

根角氏から「ゆうこう」は外海町にもあるという情報で本年7月、私は調査に行って外海町歴史民俗資料館勤務の日宇スギノ氏と会いました。日宇氏もかねてから「ゆうこう」に関心があり、出津地区の「ゆうこう」の場所を教えていただきました。この地域では西洋せり(クレッソン)は「ドロさまぜり」と呼ばれているので「ゆうこう」も関連があるのではないか?と近所の方と話したことがあるそうです。現在、確認されているのは外海地区でも旧佐賀藩領ですし、土井首付近でも旧佐賀藩(深堀藩)ですので、どちらの「ゆうこう」が古いのか、また、新たな謎=課題が生まれました。長崎学への興味は尽きることがありません。
(純博 No.23 平成16年11月8日に掲載)

写真上が「ゆうこう」の実。優しい香りと筋の山があるのが特徴。下は発見のきっかけとなった土井首にある「ゆうこう」の木。(川上氏HPの画像)
なお、下3枚の写真は、平成19年8月17日撮影。川上氏の調査によるとここに4本の木を確認している。