長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号: 982 中島川と編笠橋(1)
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」に収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。
目録番号: 982 中島川と編笠橋(1)
■ 確認結果
タイトルは、以前から「目録番号: 982 中島川と編笠橋(1)」。背景の山を前は「烽火山」と説明していた。平成19年4月指摘し、「健山」と訂正された。その際に「編笠橋」のはずなのに、「伊勢の宮の前に架かっている橋」と「高麗橋」の説明に変わっている。単純な間違いでないか。
古写真の撮影地点は、あくまで長崎市桶屋町「光永寺」の前である。中島川に架かる「古町橋」の左岸下にカメラを置き、中島川の1つ上流の石橋「編笠橋」を写している。
背景の山は、ビルの後ろとなるため、山が見える長崎市民会館手前の「魚市橋」から写した写真のとおり、(1)については、「金比羅山」や「烽火山」でなく、「健山」(たてやま)であろう。
現地説明板にある当時の「編笠橋」の姿も、古写真と同じようである。
説明をいつ修正されたか。大正4年(1915)橋の上部を鉄筋コンクリートで拡幅、長崎大水害後に解体された石橋「高麗橋」は、平成5年にすでに西山ダム下の公園に移築復元されている。「編笠橋」は、昭和61年に昭和の石橋として再建されている。
「高麗橋」や「阿弥陀橋」の背景に見えるのは、姿がまったく違う豊前坊や武功山の山である。
「関連する作品の一覧」によると「編笠橋」は7点、「高麗橋」は17点の古写真がある。これら写真から判断し、適切な説明をお願いしたい。
特に「目録番号:5633 中島川と編笠橋(6)」と説明文を参照。左から張り出した松は、編笠橋のたもとにあった「太平寺」(現・浪の平)の跡地、松寿軒のものと思われる。
最後の写真は、松寿軒側の「編笠橋」親柱の上に見えた「健山」のかすかな姿。