矢上「滝の観音」  県指定「名勝文化財」第1号

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矢上「滝の観音」  県指定「名勝文化財」第1号

平成19年7月20日、矢上の平間町にある「滝の観音」を訪れた。長崎の滝のランクづけで、滝の姿を確認する必要があったし、2箇所の「たきみち」標石の写真撮影もあった。昭和57年長崎大水害で寺も被災に合い、復興後を見るのは初めてであった。
拝観料200円を賽銭箱に入れる。代りに置いてあった「滝の観音」小縁起から参考となる部分を、境内の撮影写真とともに紹介してみる。

弘法大師と滝の観音
弘法大師は西暦八〇六年、唐の留学を終えて帰朝のついで、この地に立ち寄られ、滝水をご覧になり、大悲示現の霊地なりと、親しく加持の妙法を修され、さらに水観音の梵字を滝の懸崖に記して末代衆生の為に結縁なされた、と古書は伝えており、当山はわが国最古の霊場である。その霊験あらたかな事は古来よく知られるところである。梵字は今もなお霊瀑中央の水苔深い所に跡を留めている。大師の尊い結縁により、当山は「滝の観音」の通称で世に親しまれているが、正式には長瀧山霊源院と称し、禅宗の一派黄檗宗に属している。それ以前に長瀧寺という真言系の寺が在ったかに口碑は伝え、今も之を忍ばせる字名が近隣に存在するが、確かな資料はなく詳細については不明である。

明治以後
…昭和五七年七月二三日夜、二九九名の犠牲者を出した集中豪雨が長崎県南部を襲った。当山も二基の石橋を始め鐘堂や庫裏の全壊流出、渓谷の崩壊や山林の山抜けに遭うなど、境内は一夜にして瓦礫の山と化した。しかし、観音堂が床上一尺に達する氾濫に遭いながら、唯一難を免れて「波浪不能没」を堅持したのである。じつに不思議という外はない。復興は地元はじめ全国的な募財と県市当局の助成を得て、総工費四億円、五年間にわたる大事業であった。…

<渓中の風光十景>
一、第一峰門から伏樹門に至る幽すい。 二、伏樹門。樹齢不明。どちらが根か判らず、故に不思議門ともいう。 三、壺天にそびえ立つ仁王門。 四、竹林の情景。 五、羅漢橋、普済橋を中心とする渓流。 六、観音堂前庭の五重塔や観音石仏群、四天王像のたたずまい。七、三十米の滝。人里で固有の名称がない滝は国内唯一と云う。 八、滝つぼ周辺の涼景。 九、対岸山中の羅漢群像と観音石仏。 十、羅漢山から見る滝の遠望。
右は四季折々に情景を変えて参客を先心の思いに誘う郷土の小秘境である。

また滝の観音名物の「普茶料理」と称する伝統三百年の精進料理は、風格ある当山の禅的風致によくなじみ、無形の文化財という可きであろう。(七名以上、要予約。095−838−3701)