小瀬戸遠見番所と中ノ番所跡・注進船係留杭

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

 長崎市西部、みなと坂団地の「船の公園」内にある説明板は、次のとおり。

小瀬戸遠見番所跡

江戸時代の長崎は、わが国で唯一オランダや中国との貿易港でした。小瀬戸遠見番所は、長崎港に来航する異国船を警備するため、元禄元年(1688年)に設置されました。遠見番所のほかに中ノ番所や不寝番所も建てられ、遠見番所は平日2人が昼夜勤務しました。
異国船入港時の連絡方法は、当初「白帆注進船」と呼ばれた船でしたが、この番所の設置によって旗を掲げる方法が併用されるようになりました。野母の権現山→小瀬戸→十人町→観善寺(のちの永昌寺)の各番所にリレーされ、長崎奉行所立山役所に報告されました。
平成5年に小瀬戸番所跡の発掘調査が実施され、遠見番所跡から当時の屋根瓦や陶磁器片などが出土しました。

なお、みなと坂の中腹となる中ノ番所跡は、現在「天神天満宮」が祀られ、この古祠の右内壁に「長崎遠見番中 家内安全 御水主中」の刻みが残っている。注進船係留杭は長崎市小榊支所裏手の駐車場内に、昭和63年移転して設置されている。