俵坂関所跡の藩境石  佐賀県嬉野市嬉野町大字不動山

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俵坂関所跡の藩境石  佐賀県嬉野市嬉野町大字不動山

長崎・佐賀県境、国道34号線俵坂峠手前切り通し右上へ移設されている長崎県側の折れた「従是大村領」の藩境標石は、次の項で紹介している。
https://misakimichi.com/archives/705

これは峠を越えて嬉野町へ下る国道すぐ下の旧道「長崎街道 俵坂関所跡」に立つ「従是北佐嘉領」の藩境標石である。
関所跡の現地説明板は次のとおり。
長崎街道 俵坂関所跡

江戸時代、幕府の管轄を関所、藩の管轄を口留番所と呼び、正しくは俵坂口留番所である。戦国時代にすでに関所としての機能があったと伝えられるが、創設の時代は不明である。
江戸時代になると長崎街道として佐賀、大村両藩の藩境の要地となり、特にキリシタンの取締りが厳しかったといわれる。敷地面積二百余坪、建物は間口四間(七.二m)奥行七間(三.六m)の構えで、侍一名、足軽九名が監視にあたり、通路には門札が建てられ、その両脇には竹の柵が巡らされていた。
大名行列御通行のおりには、番所役人が威儀を正して平伏し、送り迎えをしたといわれる。
明治維新を向かえ明治四年(一八七二)の廃藩置県によって廃止になった。
嬉野町教育委員会