伊張山堡塁  兵庫県洲本市由良町由良

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伊張山堡塁  兵庫県洲本市由良町由良

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』による説明は、次のとおり。適当な解説がなく、由良要塞の項中の「伊張山堡塁」を参照。
「生石公園」から県道76号の入口へ戻る。南淡路水仙ラインをしばらく進むと、案内標識はないが、柏原山まで登るコンクリート舗装「柏原林道」が分かれる。林道に入りつき上がった高地の平地に「伊張山堡塁跡」の標柱があった。
廃止が大正2年なので、堡塁内部はかなり荒れている。柏原山はまだ先である。

由良要塞

由良要塞(ゆらようさい)は、大日本帝国陸軍の要塞の一つ。大阪湾防衛の目的で紀伊半島と淡路島の間の紀淡海峡周辺に作られた。

概要
当初の由良要塞は大きく3つの地区に分けられる。1903年5月、鳴門要塞が編入され鳴門地区が加わり4地区となる。
由良地区
淡路島の由良(現洲本市由良)を中心に要塞司令部が置かれ、生石山砲台、成山砲台、高崎砲台、赤松山堡塁、伊張山堡塁、生石山堡塁からなり要塞の心臓部を成した。由良に置かれた由良要塞重砲兵連隊が運用。
由良要塞は終戦時には第2総軍第15方面軍直轄部隊であった。
友ヶ島地区  略
加太・深山地区  略
(鳴門地区・旧鳴門要塞)
鳴門海峡に置かれた鳴門要塞が編入され鳴門地区が加わる。

砲台・保塁
生石第一砲台:28cm榴弾砲(6門)
生石第二砲台:28cm榴弾砲(6門)
生石第三砲台:24cmカノン砲(8門)
生石第四砲台:27cmカノン砲(4門)
生石第五砲台:12cmカノン砲(4門)
成山第一砲台:15cmカノン砲(2門)、21cmカノン砲(6門)
成山第二砲台:12cmカノン砲(2門)、28cm榴弾砲(2門)
高崎砲台:24cmカノン砲(8門)
赤松山堡塁:9cmカノン砲(6門)
伊張山堡塁:9cmカノン砲(4門)
生石山堡塁:15cm臼砲(4門)

歴史
明治22年(1889年)3月 – 生石山第三砲台を起工、由良要塞の建設開始
明治29年(1896年)7月 – 由良要塞司令部開設
明治31年(1898年)10月8日 – 司令部は兵庫県津名郡由良町に移転[1]。
明治36年(1903年)5月 – 鳴門要塞を吸収合併
明治37年(1904年)2月 – 動員下令(日露戦争)
大正2年(1913年)4月 – 佐瀬川保塁、深山第一砲台、深山第二砲台、赤松山保塁、伊張山保塁、成山第一砲台、成山第二砲台廃止の方針が出る

跡地
第二次世界大戦では航空機が主力となり、活躍の機会はまったくなく終戦と同時に米軍により撤去された。現在は遺構の大部分が失われてしまったが、一部が残るほか、砲も展示されている。
生石砲台群:公園として整備され、砲台跡、棲息掩蔽部が残り、破損した砲身が展示されている。
成山砲台群:不明
高崎砲台 :不明
赤松山保塁:不明
伊張山堡塁:不明
生石山堡塁:不明