「みさき道」を歩こう 第2回 2012年11月
長崎新聞カルチャーセンター 2012年度後期野外講座 ”「みさき道」を歩こう”。 企画立案 林先生・現地ガイド 江越先生
江戸時代、長崎の人たちは脇岬の観音寺まで七里の道を歩いて、”観音寺詣で”をしました。その道は長崎半島の尾根筋の山間に現在も残っていて、当時の道塚が数本残っています。
観音寺には、唐絵目利きの石崎融恩や出島絵師の川原慶賀らによって描かれた天井絵もあり、往時の豊かな観音信仰の一端をうかがうことができます。
2012年11月10日(土)曇り。その第2回目。深堀の長崎記念病院前に集合。10:00出発。
深堀地区の史跡である御船手、円成寺、恵比須様、武家屋敷、貝塚資料館、深堀陣屋跡、菩提寺、五官の墓を通って見学後、みさき道の山道へ入る。
途中の「女の坂」地蔵は、深堀藩の注進侍が、前をさえぎった身重の女を斬った菩提の地蔵堂の伝承がある。文久元年深堀郷図にこの場所に描かれ、地蔵はそれ以前の建立であり、この道が街道と示す。
大籠町の車道へ出たところから、昼食のため善長教会へ上がる。ルルドはさだまさし映画「解夏」のロケ地。隠れキリシタンの移住が許された善長開拓碑から、「ゆうこう」の大木が見え色づきはじめていた。
大籠町の観音堂と新田神社へ下って、再びみさき道へ戻る。平山台団地上のタンク地点は、深堀道と長崎道の重要な分岐と思われる。晴海台団地上までは現在の市道が、そのままのみさき道である。
寿司市衛門先から少し畑道に入ると、岳路みさき道との分岐を示す貴重な道塚が残る。蚊焼入口近くにあと1本あり、国道上に出て、きょうの行程はここまで。三和行政センター前広場で、14:35解散した。明日のサンサンさんわフェスティバル会場だが、雨が降り出した。
<徒歩距離6km 高低差140m> 参加者15人。私も道案内で同行。
第3回は、2012年12月8日(土)。蚊焼から高浜海水浴場まで。