浦上川通りと長崎県立長崎西高等学校  長崎市竹の久保町

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浦上川通りと長崎県立長崎西高等学校  長崎市竹の久保町

きのう江山楼で昼食後、浦上川通りから長崎県立長崎西高等学校へと歩いた。浦上川に架かる橋は、梁川橋、浦上歩道橋(JR浦上駅に通じる歩行者専用道路。1986年(昭和61年)12月19日に開通)、竹岩橋。
浦上歩道橋の上から、長崎ブリックホール、日赤長崎原爆病院、活水高校・中学校、長崎市立渕中学校、稲佐山などが見える。

長崎県立長崎西高等学校は、1948年(昭和23年)11月1日の創立。旧制長崎県立瓊浦中学校跡へ移転。爆心地から約800m南西の長崎県立瓊浦中学校校舎は、原爆投下により壊滅。多数の死亡者を出した。

長崎県立長崎西高等学校HPによる学校沿革は、次のとおり。近況を知らせる。有名なのは正門前の「遅刻坂」。被爆クスの木がこんなに大きくなっている。門を入ると「自律の像」「自律の鐘」「自律の碑」が設置されている。西川食堂や春木まんじゅうももうない。
私は落ちこぼれ。同窓会にまったく失礼をしている。

沿 革
昭和23年11月 旧制中学校が統廃合、県立長崎西高等学校として、シーボルトで名高い長崎市内の鳴滝の地に開校。
昭和25年 8月 現在の所在地、長崎市竹の久保町に移転。
昭和26年12月 校歌「眉秀でたる若人よ」を制定。
昭和53年11月 創立30周年記念式典を挙行。「自律の像」が建立され「柏の森」が造園される。
平成10年11月 創立50周年記念式典を挙行。「自律の鐘」と「自律の碑」が設置され「自律の像」とあわせて「自律三林」と命名。