長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号: 147 布引滝(2) ほか
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。
目録番号: 147 布引滝(2)
〔画像解説〕
生田川水源の花崗岩崖にかかる布引滝は、雌滝、鼓ヶ滝、夫婦滝、雄滝よりなる。写真の雌滝は最も下流に位置する。写真中央には、観瀑橋が見える。
目録番号:2807 布引滝(15)
〔画像解説〕
布引雌滝。「布引の滝」は生田川の上流に位置し、雄滝、夫婦滝、鼓ケ滝、雌滝の流れを総称した呼名。川を渡る回廊のような木橋と茶店がまだ設けられていないので、明治初期から中期の撮影。彩色は異なるが、目録番号4481・4682・4870と同じ写真。
目録番号:4481 布引滝(23) 掲載略
目録番号:4682 布引滝(25) 掲載略
目録番号:4870 布引滝(27)
〔画像解説〕
布引雌滝。明治初期から中期にかけての撮影。彩色が異なるが、目録番号2807・4481・4682と同じ写真。雄滝から雌滝に続いたこの流れは、新生田川となって海に注ぐが、このあたりから下流にかけて、精米の水車場がいくつもあったという。
■ 確認結果
神戸市山手の有名な「布引滝」を写した上記目録番号の5作品。撮影者は「日下部金兵衛」や未詳となっているが、そうではないようだ。
金子隆一氏研究紀要 ”内田九一の「西国・九州巡幸写真」の位置”(Adobe PDF)に、「神戸 布引雄滝」の2作品がある。(東京都写真美術館などの所蔵)
明治5年(1872)、明治天皇の巡幸に随行した「内田九一」の作品である。帰路7月、神戸に寄って撮影した。天皇は滝へは出かけていない。巡幸写真が小さく、横になって掲載されていたため、これまで良く調べなかった。縦にしてわかった。
2点のうち左の「図54 神戸 布引雄滝」は、目録番号で見当たらない。右の「図55 神戸 布引雄滝」が、上記目録番号の5作品と同じ写真だろう。雄滝?雌滝?
最近、「図52 神戸ヨリ布引ヘ至ル途上」の目録番号: 146「久形橋」について、コメントがあり作品を調べていて、巡幸写真の一緒とわかった。
目録番号: 146「久形橋」は、 https://misakimichi.com/archives/2272