日出城跡(暘谷城跡) 日出町日出
日出城跡は、木下2万5千石の居城跡。慶長6年(1601)、秀吉の妻ねねの甥にあたる木下延俊が築城。別名、暘谷(ようこく)城・青柳城とも呼ばれる。
国道10号が日出町の中心に入り、JR暘谷駅入口交差点から右折する。駅も過ぎ、通りを海岸の方へ進むと、日出城跡(暘谷城跡)に着く。
城跡に建てられている日出小学校の周囲に、堀や石垣が残り城跡公園となって、一周できる遊歩道がある。本丸下の海岸が、カレイで有名な「城下海岸」。別府湾の景色が良いが、あいにくの天気で夕方だった。現地説明板は、次のとおり。
日出城跡(暘谷城跡)
日出城跡(暘谷城跡)は日出藩初代藩主、木下延俊が慶長6年(1601)に細川忠興の援助で築城した。暘谷城の名は“日は暘谷から出て咸池に入る”という言葉から引用して命名したと伝えられている。昔は天守跡に三層の天守閣がそびえていたという。二の丸および外郭には家臣の居宅、町家を入れた。明治7年(1874)2月大分県は天守閣をはじめ九の櫓を競売に附し取り壊したが隅櫓のみそのまま大正10年まで城内にあったが、小学校拡張により移転した。
日出小学校は明治6年、本丸の建物の払下げをうけ、暘谷小学校が開設されたのが始まりで明治20年小学校令によって暘谷尋常小学校となり、その後日出小学校となり今日に至っている。
本丸下の海岸は俗に“城下海岸”と呼ばれ、ここから望める別府湾の風景は絶景との評があり、別府八景、大分県の百景の一つともなっている。
町指定史跡 昭和25年10月17日指定