長崎外の古写真考 目録番号:3150 中山道の松並木(1)

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:3150 中山道の松並木(1)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:3150 中山道の松並木(1)
〔画像解説〕
中山道が五街道のNo2として開設されたのは、慶長7年(1602)である。その際街道の並木として松もしくは杉が植えられた。中山道では安中(群馬県)の杉並木が有名だが、第二次大戦後車の排気ガスでその多くが枯死した。ところが中山道の笠取峠では旧中山道に平行して国道142号のバイパスが建設されて、公害から松並木を守っている。茶屋の前に停まっている人力車は、馬車が通れるように改修された街道であることを示している。

目録番号:3151 中山道の松並木(2)
〔画像解説〕
笠取峠には2kmにわたり赤松の並木道が残されている。写真は明治20年代にとられたものだが、江戸時代と異なるのは、街道が改修されて馬車・荷車・人力車の交通が可能になっていることである。明治時代に比較して松の数は減ったが、現在106本の赤松の巨樹が残存している。いずれも樹齢150〜300年以上の老木である。

■ 確認結果

目録番号:3150「中山道の松並木(1)」と同じ写真が、”WEB 浮世絵”北斎・広重の浮世絵と東海道の古写真 その5 保土ヶ谷 に掲載されている。

その説明は、「信濃坂(保土ヶ谷と戸塚の間) 下岡蓮杖撮影 長崎大附属図書館提供 民謡「お江戸日本橋」には、「痴話で口説は信濃坂、戸塚まあえ、藤沢寺の門前で、こちやとどめし車そ綱でひく。こちゃえ。こちゃえ」とあります」

古写真に「信濃坂」とキャプションがあるのだろうか。「信濃坂」の解釈によって、「中山道」か「東海道」か、画像解説が異なったと思われる。
次の目録番号:3151「中山道の松並木(2)」も、「東海道」の可能性が考えられる。