佐世保軍港の秘密重油タンク群 祠堂石文を読んで
次は、佐世保市高橋輝吉氏から送られてきた資料。佐世保港の西岸、北は赤崎から南は海を越えて横瀬まで地下深く秘されている大正初めから昭和の戦中につくられた重油タンク群。一般の人には知られていないが、現在も米軍によって使用されている。
重油タンク群建造の詳細は、佐世保史談会発行「談林」に掲載があり、次の記事とする。
高橋輝吉氏稿 佐世保軍港の秘密重油タンク群 祠堂石文を読んで
祠堂造営由来
大正七年七月ヨリ庵崎ニ於テ海軍ノ工事始マリ。職員、職工、二百余名此ノ地ニ居住ス。由ツテ一同記念ノ為メ、鎮守明神ノ祠堂ヲ造営シ恵比須神ヲ合祀ス。
大正十年四月十日
軍港を見渡す山、赤崎岳。船越一帯の地下燃料「タンク」。第一次大戦頃より、船の燃料が石炭より油に変る時代。「庵崎」に出来た地下「タンク」。秘密タンクとも言われた。全部コンクリート製で難工事だったと思う。
石文に有る職員、職工。職工は宿舎かなー。周りの村、村。地元の人も含め、多くの人が「コンクリート」の為め24時間労働だったと思う。当時、鉄が値上がりのためと、コンクリート。テストのため。幸いかなー、当地、佐世保では地震がないのが幸いしてよかったのかなー。史談会の話にはなし?(触らぬ神?)
終って見れば、○秘「タンク」の事として、言うに言われない事が有ったと思うので、時の氏神を持ち出し一幅の○○にしたのかなー。何とも解しない石文だったと思うがー。多分、洗脳されたと思う。
庵崎に「海軍用地」「陸○○」などの石柱が8本位有った。猪の穴、4ヶ所有った。