西彼町の主な史跡 (1)  西海市西彼町

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西彼町の主な史跡 (1)  西海市西彼町

西海市西彼町の主な史跡。西彼町教育委員会「西彼町郷土誌」平成15年発行の750〜766頁による説明は次のとおり。項目の数字は一部調整。

第二章 史 跡 (中世・近世の史跡)

写真  1〜  3    1 石鍋製作跡

西彼杵半島の山中では、古くから平家の落人が隠れ住み、石で作った鍋や釜を使っていたと言われてきた。今日では、各地で石鍋やその製作跡が発見されているが、中世史の研究によって、西彼杵半島は全国でも珍しい一大生産地であったことがわかり、石鍋の製造法や用途などが解明された。
石鍋研究の歴史は、八重津輝勝、内山芳郎による大瀬戸町春山山頂の石鍋製作跡の調査から始まった。西彼杵半島に分布する「西彼杵変成岩」の岩脈帯に点在する「温石(おんじゃく)層」は、硬度1〜2度の軟質で加工がしやすく、油性に富むため、さまざまな用途に利用された。中でも石鍋製作跡は各所に見られ、雪ノ浦川上流のホゲット石鍋製作所遺跡は国の史跡である。

昭和48年(1973)以降、製作地の詳細な調査が進み、生活遺跡からの出土品や、たき火跡の木炭の年代測定から、平安時代〜室町時代末期頃まで製作され、煮炊具として使われていたことがわかった。
鎌倉末期の『厨事類記』には、山芋粥を作るとき、アマズラを入れて「石鍋ニテニル」とあり、天文4年(1535)の『武家調味故実』には壺焼き料理の項に「石鍋に酒を入れて煎る」と記され、長期にわたって煮炊き道具として利用されたことが確かめられた。

製法は滑石層の岩盤面や岩塊表面に30〜40cmの升目を引いて、そこから円錐台、四角錘台の粗形を彫り取る。その中をくり込んで成形し研磨して仕上げた。形は器の周囲に鍔のあるものや、二対の直方体の耳つきの鍋などがある。製作跡に残るものは、表面に粗いのみ跡をとどめていて、工作過程がよくわかる。
西彼町にも多くの遺跡が確認されており、県の遺跡登録も10ヵ所にのぼる。また、大串郷・永田留義史談会長らの現地調査では、地図に示すように30ヵ所が確認された。

大型遺跡である平山郷字忠五郎「下茅場遺跡」は、現在建設中の広域農道ルートにかかるため、県文化課と町教育委員会共同で発掘調査の結果、きわめて良質な石鍋製作遺跡であることがわかった。
このため、耕地事務所も農道ルートを変更し一部高架の措置を講じ、7ヵ所の遺構のうち5ヵ所が現地に保存されることとなった。埋没を免れない2ヵ所の遺構は、町農村環境改善センターと体育館入口にそれぞれ移されて展示保存されている。
製造された石鍋は、畿内から鎌倉まで運ばれ、一説では、その運送を担ったのが「海夫」と呼ばれる海民であったとされる。八木原郷鍋ノ浦、喰場郷の温石原、ナベシ谷、平原郷鍋石谷など、石鍋にちなんだ地名も残っている。

写真  4〜  8    2 御腰懸石と御茶の水

白崎郷字膝行神母衣崎の海辺にある。大村氏の大祖、藤原直澄入郡の際の上陸地として、昭和46年(1971)9月、町史跡に指定された。現在は四本堂公園の一部となり、オートキャンプ場下の海岸、四阿屋の脇に御腰懸石がある。傍に標石があり、表面に「御腰懸石」、裏面に「寛政年中大村信濃守純鎮建之」と刻んでいる。

大村家譜によると、平安時代に朝廷に叛いて討たれた藤原純友の孫である直澄が伊予大洲の山中で成育した。純友の没後40数年を経て、朝廷は純友を許し、直澄を従五位下遠江権守に任じて、肥前の国の内、藤津郡、彼杵郡、高来郡の三郡を賜ったという。
正暦5年(994)、直澄が海路下向の途中、伊ノ浦の瀬戸を渡り、母衣崎に休憩のため上陸したとき、村民が出迎えて母衣をめぐらし、土地の豪族椎野大膳らも加わって着郡を祝ったという。

腰懸石から200mほどの磯辺に湧水がある。この水で直澄に茶を供したことからお茶の水の標石が立っている。直澄は大串の者の案内で、彼杵郡玖原の里寺島(大村市前舟津郷)に上陸し、以後「大村」を姓とした。
(注)大村氏の祖が藤原純友の孫直澄で、前記3郡を得て下向してきたという由来は、これまで定説であったが、近年の研究では否定説が強い。

写真  9         3 刎木(はねぎ)の古城跡

八木原郷天満宮の北にある小高い丘は城の辻と呼ばれ、刎木の古城跡である。この城も八木原氏が築いたものと推考されるが、八木原氏を授けて中浦方と戦った武将、志田三郎もここに拠ったと伝えられる。城跡から南に下った森に志田三郎の墓とされる石祠が建っている。
『大村家記』に「羽木古城在八木原村 大手南方石垣高サ五寸長サ二十間、本丸百十坪、腰郭石垣高サ六尺或ハ五尺、廻リ百間余リ、東ハ海、西ハ険阻、北ニ用水有リ」とある。