長崎外の古写真考 目録番号:4621 唐風山門

イメージ 1

イメージ 2

長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:4621 唐風山門

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:4621 唐風山門

目録番号: 122 芝増上寺文昭院霊廟仕切門(1) 関連作品 目録番号:4162、4262、5545
〔画像解説〕
英語で「東京芝の寺」と説明されているが、これは東京芝の増上寺境内にあった文昭院(徳川六代将軍家宣)の墓所の入り口にあった仕切門である。霊廟入り口の往時の雰囲気がうかがえる。門番と思われる男性には髷が残っている。

■ 確認結果

目録番号:4621「唐風山門」は、目録番号: 122「芝増上寺文昭院霊廟仕切門(1)」ほか関連作品にもあるとおり、東京都港区芝公園4丁目にあった「芝増上寺文昭院霊廟仕切門」であろう。
関連作品の目録番号:4262は、タイトルが「有章院霊廟」となっている。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』による説明は次のとおり。

増 上 寺 徳川家霊廟

増上寺には、徳川将軍15代のうち、6人(秀忠、家宣、家継、家重、家慶、家茂)が葬られている。
第二次世界大戦前には台徳院(秀忠)霊廟、崇源院(秀忠夫人)霊牌所、文昭院(家宣)霊廟、有章院(家継)霊廟が旧国宝建造物に指定されており、その壮大さは日光東照宮に引けを取らない貴重なものであったが、昭和20年(1945年)の空襲で建造物群のほとんどが焼失した。現在は台徳院霊廟の門4棟と、有章院霊廟二天門、文昭院霊廟奥院中門(鋳抜門)を残すのみであり、それらも保存状態の悪さが目立つ。

焼失前の有章院霊廟焼け残った建築のうち以下のものが重要文化財に指定されている。
台徳院霊廟 惣門(芝公園・ザ・プリンスパークタワー東京内)
台徳院霊廟 勅額門、丁字門、御成門(以上3棟はホテル建設に際し、埼玉県所沢市の  狭山山不動寺(西武ドーム前)に移築されている)
有章院霊廟 二天門(芝公園・東京プリンスホテル内)柵で仕切られているが、塗装も随所に剥げ落ち老朽化が激しい。

これらの霊廟に祀られていた遺体は、昭和33年(1958年)調査発掘され、その後桐ヶ谷斎場にて火葬された。墓所は安国殿裏手に移転している。現在の増上寺徳川家墓所の入口の門は、もと文昭院霊廟の奥院の宝塔前中門だったもの。秀忠夫人崇源院霊牌所の一部は鎌倉建長寺に移築された。霊廟跡地は、東京プリンスホテル(文昭院、有章院等)、ザ・プリンスパークタワー東京(台徳院、崇源院等)となっている。