為石岩崎墓地にある海難供養塔
三和町「三和町郷土誌」昭和61年刊783〜785頁の説明は次のとおり。
三和町為石岩崎墓地入口の一画に「溺死万霊塔」「群霊塔」「女島遭難供養塔」の三基の供養塔が並列して建てられている。この漁村の被害の大きさに胸うたれるものがあり、漁民家族の悲しみが身に迫る思いがする。
一 溺死者万霊塔
蛇紋岩の切石で高さ一八七センチの供養塔
正面 「溺死万霊塔」と刻まれ
左側面 くだれる世の怖しき心を御安どの御仏の国に導きたまうにや文化十二年の春漁を業とせる此浦人一百五十余人唯ひとゆりの浪に溺れむなしくなりぬその亡(き)跡を弔らわんとこたび浦川沙童この碑を建供養せらるに予も随喜の菩提をなして
さめよさめよとても 七十四翁 御法とちるさくら 其水
裏面 文化十二年乙亥二月日 嗚呼時哉 願主 武士と思へば ゆゝし春の海 浦川沙童
右側面
春の海に身を清めてや法の道 雨柳
亡影のしるしと塚の柳かな 可□
うかみ行く花の筏や三ッせ川 素石
むらさきの雲や迎へのはるの風 其石
七回のその先を□くみし人々の碑□□ 筆をとるも□□し日に日にて 命毛のたへてはかなき古筆かな 敲雲座一峰
台石(右) 世話人 射場 六之丞 茂 平 六軒 十五郎
二 群 霊 塔
高さ 一〇〇センチの切石の塔
正面 「群霊塔」
左側面 施主 高野屋和吉
右側面 嘉永三庚戌七月
(注)この塔の由来はわからないが、宝性寺の記録によれば、大風のため出漁中の為石村の漁夫50余人が溺死し、当寺で大追善を行ったとしてある。
三 女島遭難供養塔
高さ 一二〇センチの御影石
正面 「溺死精霊塔」
左側面 明治三十九年旧九月七日 男女島遭難者百九十七名之墓
右側面 篠原広吉 世話係 浜辺喜一