梅香崎唐船繋場の繋石とはどんなものか

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梅香崎唐船繋場の繋石とはどんなものか

十人町の「みさき道」道塚について「人によっては海岸がここまで来ていて、船のロープのもやい石ではないかと言う人もいる」と前に記した。当時の「もやい石」は残っていないだろうか。「長崎市史 地誌編」は、梅香崎唐船繋場の繋石が3箇所に転用さていることを記録している。

このうち、長崎市立博物館「長崎の史跡(歌碑・句碑・記念碑)」平成16年は、次のとおり記している。
28 唐船維覧石(所在地:玉園町1番16号 杉山宅・旧迎陽亭内)  60頁
西道仙(1836〜1913)の「唐船維覧石」の書が刻まれている。この石はかつて梅香崎の唐船繋場の繋石であったという。梅香崎には宝暦12年(1762)に石垣を築いて、唐船繋場が構築された。ここには唐船の修理が行われる場合、関係の役人や唐人達が詰めた木造二階建ての詰所も設けられていた。この繋石はとても珍しいもので、清水寺や梅香崎天満神社境内の燈籠の棹石この繋石といわれるばかりである。

「梅香崎の唐船繋場」は、現在の湊公園近くの梅香崎角ローソン一帯。玉園町の旧迎陽亭へ見に行った。かなり大きな石柱で比較にならない。清水寺や梅香崎天満神社は燈籠の三本足に使われている。

迎陽亭のは別の話がある。岩永弘著「長崎周辺”石・岩・陰陽石”」2002年の17頁は、「今の長崎駅近くの波止場に唐船継纜用の石があった。大黒町辺りの若者達が、迎陽亭の主人が骨董趣味があることを知り。この石をかつぎこんで一夜の宴会費に代えたという謂れのある石である、と」