ここにも在る? 外国人居留地跡標石(境石・地番標) 長崎市東山手町ほか
平成6年7月1日発行「長崎の碑(いしぶみ) 第2集」129〜142頁に、長崎市南公民館の研究グループ「どじょう会」が行った長崎の外国人居留地跡標石(境石・地番標)の調査結果が報告されている。
現地の主な標石には、長崎市教育委員会がその後、小さな陶板プレートを標石脇に埋め込んでいる。これら標石の1つ1つを、現在の時点で再確認した。結果を次の記事などにしている。
https://misakimichi.com/archives/1483
東山手町、活水オランダ坂の「東山手十三番館」。木造二階建て寄せ棟造りの建物が、賃貸住宅として建築されたのは、明治25年〜27年のことと推測され、昭和初期から一時、フランス領事が住んだため、領事館として使用された。
その後も住宅や喫茶店であったが、近年、老朽化が進み長崎市が建物を購入し修復の上、本年4月からの長崎さるく幕末編では、フランス交流館として活用され、コーヒーサービス(有料)がある。
「東山手十三番館」には、同館のオランダ坂入口正門左下と、後ろへ登った活水大学正門前となる外囲いの石塀に、「甲十三番」の2つの地番標が埋め込まれている。どじょう会の記録があったので、同館正門左下のは、茂った蔦の下に地番標が出てきた。
活水大学正門前や向いの東山手十二番館私学資料館前の地番標には、長崎市教育委員会の陶板プレートが付いているのに、なぜか、この十三番館石塀に組み込まれた地番標にはプレートが付いていない。
教育委員会の単なる調査もれか。観光のメインとなるオランダ坂である。早急に対処してほしい。さるくガイドは説明してないと思われる。
後ろの写真は、どじょう会の報告に表われていない標石。浪の平町の居留地で2本見つけている。また、復元された史跡出島和蘭商館跡の休憩所「旧長崎内外クラブ」建物奥の階段下にも、3本の地番標が保管されていた。
最後は、長崎市教育委員会が付けている陶板プレート。大浦天主堂外側横塀下の例。