東長崎の散策 (7) 平間の風景・史跡 長崎市平間町
西彼杵郡矢上村、北高来郡古賀村と戸石村が合併して昭和30年2月11日に東長崎町が誕生。昭和38年(1963)4月20日に長崎市に編入された。長崎市の東端に位置する。
地勢は西、北、東の三方が200〜500mの山系によって囲まれる。標高450mの普賢岳、行仙岳を中心にほぼ馬蹄形に平坦部が開け、八郎川、戸石川が流れ橘湾にそそいでいる。対岸には牧島が天然の良港を成している。
矢上は長崎街道25宿のうち、長崎から数えて2番目の宿場町として栄えた。「植木の里」として有名な古賀は400年の歴史を誇る。
東長崎の散策(7)は、平間の風景・史跡。滝の観音と同奥の院。
滝の観音(長崎県指定名勝)の説明板、イチイガシの伏樹門、紅葉時の山門の景色、山門の仁王像、観音堂と秘仏の魚藍観音像、長崎大水害で壊された梵鐘、再建された羅漢橋と普済橋、観音の滝、磨崖の羅漢像、上部林道沿いにある原爆犠牲者を弔う石碑、同墓から入る滝の観音奥の院「玄津院」、玄津院の石造物、滝の観音歴代住職の墓、カイヅカとバショウの大木
長崎学さるく織田先生作成資料による「滝の観音」などの説明は次のとおり。
写真 1〜 滝の観音〜長瀧山霊源院 黄檗宗
弘法大師が、唐の留学を終えて帰朝のついでに、この地に寄り、滝水をご覧になり、水観音の梵字を滝の中に記した。万治2年(1659)黄檗木庵の法子鐵巌道廊、この地にきて、次年禅堂を建てる。この年、中国の商人、許登授は、滝の観音に参拝する。寛文7年(1667)許登授、本堂を寄進。
写真 9〜 石 橋
羅漢橋と普済橋は、元禄13年か又は以前の架設。「三庚辰年八月吉日 茂弥市郎同清六」かのえ〜たつ(コウシン)。普済橋は、県道改修の折り昭和11年の復元。
昭和57年の長崎大水害で流失したので、羅漢橋は、昭和61年、普済橋は62年に復元。設計及び監督指導は、石橋研究者の山口祐造氏。
写真 14〜 梵住山玄津院(滝の観音の奥の院)
石造物 右側 龍女 聖観音菩薩座像の脇侍 龍宮にいる龍王のむすめ、おとひめ
龍王 仏法を守護する 雨を祈る本尊龍神 水の神 海の神
中央 聖観音菩薩座像
左側 善財童子 仏道を修行するもの 文殊菩薩の従者
・平川与四右衛門 砥川村、現在は佐賀県小城郡牛津町砥川。木彫の持ち味を石彫で再現した彫技は見事である。
・石造物は、長崎の岡六郎兵衛が、3名の菩提を弔うために、元禄13年(1700)建立。