日見の散策 (6) 界の風景・史跡 長崎市界2丁目
長崎を旅立つ人は、「西の箱根」と云われた難所の日見峠を越した。諫早・矢上方面から長崎へ向かう人はこの地で身づくろいをして、長崎へ入った。長崎街道往来の重要な中継所であった長崎市の日見地区は、市街近郊の住宅地などに変貌しているが、現在も街道はトンネルに姿を変え、国道34号と長崎自動車道がこの地区を通り、長崎の中心へ入る交通の玄関口となっている。
日見の散策(6)は、界の風景・史跡。界1丁目に続き、界2丁目。
網場道バス停から高城山を望む、日見霊園の白衣観音、高城山の登り途中から日見・東長崎方面を、高城山中腹の山道にある陸軍省「長崎要塞区域標」「第二十九号」、高城山山頂付近(日見城跡?)、長崎市日見合同庁舎、同駐車場にある長崎大水害碑、市民網場プール、JA長崎せいひふれあい市、長崎市立日見小学校、長崎市立日見中学校
「長崎要塞区域標」は、日見霊園左からびわ畑の中を真直ぐな坂段を300段ほど長崎市水道配水タンク場まで上がる。タンク場の裏へ回りNHKほかテレビ中継放送所へ行く山道を5分ほど登ると左道脇にある。
長崎市南公民館どじょう会「城郭他遺構調査書」平成3年5月によると、高城山は「日見城跡」として記され、タンク場は出丸跡となっている。
日見の散策(5)で載せた「18−1 高城大権現」の説明も参照。
日見地区公民館編「日見の史蹟等」2005年3月刊の45頁による説明は次のとおり。
写真 10〜 36 長崎大水害碑
日見支所駐車場。日見地区連合自治会 昭和58年(1983)7月建立
(碑 文)
午後5時頃より降り始めた雨は1日降雨量448ミリ、時間あたり187ミリ、わが国観測史上驚異的な降雨量を記録した。午後8時過ぎ各地で大規模な山くずれが発生、河川ははんらんし、死亡者36人、り災所帯1,044を始め農林水産等、甚大な被害を被りかつてない大惨事となった。長崎市役所日見支所に災害対策本部を設置、各自治会長が中心となり地区内の諸団体、機関県内外からの不眠不休の献身的な死傷者の救出救援復旧活動が約2ヶ月続いた。