野母崎の散策 (8) 野母の風景・史跡 長崎市野母町
長崎市の野母崎地区は、長崎半島の先端部。九州本土最西南端にあたる。周囲を海に囲まれ、海岸の景観に優れる。野母崎町は平成17年1月4日、長崎市に編入された。
野母崎の散策(8)は、野母の風景・史跡。野母は続く。
蔵徳寺、葉山神社、小立神岩、大立神岩、権現山展望公園、日の山神社、深浦(ケゴシラ)、野母崎海の健康村 陽の岬温泉
長崎さるくマップブック「野母崎界隈」80〜81頁による説明は次のとおり。
写真 4〜 葉山神社
神仏混淆禁止令が出された明治の初め、神像があまりにも仏像に似ているということで没収。以来、神社となった葉山神社。社殿と鳥居は残され、その後、付近の住民によって祀られるようになったといわれています。
写真 8〜 権現山展望公園と椿公園
日本最西南端に位置する標高180mの権現山からは、東に天草灘、西に五島灘、そして南に果てしない東シナ海が一望できます。権現山には、江戸時代以前から海外から入港してくる貿易船などを見張る”遠見番所”が置かれていました。展望公園内には、世界平和の願いを込めた梵鐘や烽火台跡が残っています。
また、権現山は国内外の椿250種約300本、やぶ椿1万数千本が自生する椿の名所としても知られ、一帯が椿公園となっています。その中には野母崎でしか見られない可愛らしい白椿”陽の岬”があります。
写真 14〜 日の山神社
貞観13年(871)。熊野神社の例祭の夜、海の彼方から流れた光が鳥居道の海岸で消えた。その夜、宮司の夢に現れた観音菩薩が、海上遥かに見渡す山頂に自分を安置するようにお告げがあり、不思議に思った宮司達が鳥居道の浜に行くと、観音菩薩が流れていたので、これを日の山に祀ることになったといわれています。日の山の名称は、朝日が昇ってから西の水平線に陽が沈むまで輝いている山、という意味です。
写真 15〜 深 浦(ケゴシラ)
熊野神社の縁起によると、孝徳天皇の御代(645〜654)、紀州熊野の漁師が漂着したのが、ケゴシラ(毛頭)と呼ばれるこの辺り。その後、近隣、遠国から人々が集まり、村をなした場所です。この野母崎で最初に人々が住み着きできた村落は、今はのどかな漁業の町となっています。
写真 17〜 野母崎海の健康村 陽の岬(ひのみさき)温泉
客室は全室オーシャンビュー。雄大な海を望める宿泊と温泉施設。泉質は美容効果が高い重曹泉で鉄分を多く含み、婦人病にいいとされています。併設するレストランでは、野母崎特産の ”のもんあじ”や”伊勢えび”などの旬の食材を使った季節料理が楽しめます。