長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:3810 高鉾島(17) ほか
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。
目録番号:3810 高鉾島(17)
目録番号:3811 高鉾島(18) 関連作品:655 高鉾島(3)、5622 高鉾島(32)
■ 確認結果
長崎港口の高鉾島を写した古写真は、条件を「高鉾島」に指定して探すと、43作品がある。撮影場所の疑問があるものを、これまでも載せた。
上記の4作品も、撮影場所は「神の島」からではない。神の島側からだと、高鉾島の背後に写るのは、八郎岳から熊ヶ峰にかけての稜線となる。
最初の目録番号:3810 高鉾島(17)の古写真は、左側の島が「皇后島(鼠島)」、右が「高鉾島」である。八郎岳は皇后島の背後にある。2島の間は深堀の城山。高鉾島の右側の平たい島は香焼島。
したがって、この古写真は「神の島」からではない。小瀬戸町の長崎市小榊支所横から上がった「大悲寺墓地」の中段から撮影されている。
次の目録番号:3811 高鉾島(18)と関連作品:655 高鉾島(3)、5622 高鉾島(32)とも、これも古写真は「神の島」からではない。前記の小瀬戸町「皇后島(鼠島)」へ渡って写されている。
撮影場所は皇后島の南端、「神功皇后之御舊」碑が立つ海岸あたりからと思われる。そのため、高鉾島が近くに写り、左脇背後の島は、香焼島の左半分である。
ほしなべさんと宮さんへ。この海岸で夕方、50cm級ヒラメがゲットされました。