戸泊公民館「岩河の地蔵」丸紋のある石は経塚か

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

戸泊公民館「岩河の地蔵」丸紋の石は経塚か

長崎市深堀1丁目戸泊公民館入口の左側に、数体の石仏と共に高さ70cm位の珍しい石が据えられている。岩永弘著「長崎周辺 ”石・岩・陰陽石”」2002年刊、41頁は次のように記している。

「砂岩石のようで剥離した所があるが、丸い紋のような標しがあり、曰くありそうである。これらを管理されている主婦の話によると、先々代の頃、某地から担いできたとかで、昔の人は強かった、という程度の話しか聞けなかった。鞍形状でなんとなく気を引く石である」

深堀の識者に聞いてみた。丸紋を彫った自然石は、墓の傍に一緒に埋めた経筒の「経塚」である。深堀菩提寺奥墓地の古い墓に、たくさん見つけた。丸紋の中に梵字や氏を入れたのもあるらしい。
戸泊上の墓地はここも菩提寺墓地で、数は少ないが同じものがあった。末石町の江川地区公民館地蔵堂前にもある。

深堀地区だけのものでもない。戦跡調査の写真から、島原半島加津佐岩戸山にもあるのがわかった。蛇紋岩の平石が多い。戸泊のは砂岩の鞍形状で幅が広く珍しい。前の川は「岩の川」といい、大正年間、水害がひどかった。地蔵はそのため「岩河(いわんご)の地蔵」といい、水害犠牲者の供養塔ではないだろうか。

インターネットで調べてみると、同じようなものが「一字一石塔」として全国にあるようである。巨大なものは大分県安心院町に「佐田の京石」があった。「経塚」ないし「経塔」で検索し、参照していただきたい。