長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:365 茂木街道(1) ほか
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」に収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。
目録番号: 365 茂木街道(1)
〔画像解説〕
茂木街道は長崎から茂木への街道。写真はこの街道途中にある田上を撮影。田上はこの街道の峠になり、街道の要所であった。
目録番号:3842 茂木街道の水車
■ 確認結果
茂木街道沿いの大水車。昭和33年発行「茂木町郷土誌」は記してない。水車は水量がなければならない。集落や田がある川の中・下流域と思われる。
目録番号:365「茂木街道(1)」は、街道を下る途中、上部から水車と川を写し、「街道途中の田上を撮影」と説明している。田上とは「田上峠」のある一帯で、少し上流すぎる。
絵葉書の目録番号:3842「茂木街道の水車」は、前記と同じ水車小屋の近景である。小さな桁石橋もよくわかる。
明治18年(1885)に整備された旧県道の道を、転石から河平川の谷間へ下って行って、似た光景を見た。コンクリート小道を川まで下ると橋が渡り、対岸はひわ畑の平地があった。
畑の人に聞くと、ここが古写真の水車小屋の跡。長崎大水害により地形や川の流れが変わった。水車を回すため上流に堰があり、水路があった(古写真の左下から伸びているのが「水路」と思われる)が、跡はわからなくなった。
水車小屋はあと1軒あった。古写真に離れて写っている白い屋根の家である。ここもビニールハウスの畑に変わっていた。
場所は旧県道の、ちょうどアーチ式石橋「河平橋」の下あたりとなる。「戸町二至ル」の標石がある四叉路を、河平川の本流の方へ下るとここに出る。農道の橋から見ると、上流にコンクリートの小橋がある。小橋の右脇のひわ畑が大きな方の水車小屋の跡である。
白い屋根の家跡は、農道の橋を渡ったすぐ右下のハウス畑である。
旧県道沿いの水車は、茂木小学校まで行く間に別に4台あったことと場所を聞いている。
茂木街道旧県道の道下谷間にあった水車小屋の場所は、略図を載せる。明治34年測図国土地理院旧版地図でもこの場所に表示している。