「みさき道」などにある力士墓・力士碑4話

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「みさき道」などにある力士墓・力士碑4話

写真上から

①小が倉バイパスの新小が倉1丁目相光石油ガソリンスタンド角
下の説明碑にあるとおり、この力士墓は天保十年ごろ東京相撲で活躍した「二子島力士」と、慶応四年ごろ宮相撲の強豪であった「熊ヶ谷力士」の墓である。ここの裏手の現在高比良造園のところに「みさき道」の「源右衛門茶屋」(ゲンネン茶屋)があった。
力士墓も以前ここにあったが、バイパス側に移設されて碑とともにある。

②同近く高比良造園奥の竹林内
造園の敷地から離れた奥の竹林内に「谷櫻力士墓」がある。力士の詳細不明。大正年間に建てられたということだが、いかなる理由からか竹林内に移設されている。谷櫻碑は小ヶ倉2丁目小ヶ倉神社横にも建てられているが、これも2回目になるという。川向氏の出といい、墓は浜田墓地にある。(「小ヶ倉のあゆみ」から)

③蚊焼地蔵寺国道下の前三和町有地
「二子嶋」(寛政四年)と「肥ノ嶌巌力」(明治二九年)の墓。もともとは蚊焼入口の「みさき道」の道筋にあった。国道拡幅工事のため、数年前から現在の町有地に移設されている。

④川原木場公民館のグランド奥
高さ約2mほどの自然石。「天保三年 熊川清四郎力士 十一月十九日角力中」とある。地元の川「熊川」を四股名とした力士を讃えた碑のようで墓でない。ここは半島東回りのみさき道であった。