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御伊勢ドンの灯籠  南九州市知覧町打出口 ( 鹿児島県 )

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御伊勢ドンの灯籠  南九州市知覧町打出口

サイト「近世以前の土木・産業遺産」鹿児島県リストによるデータ及び現地説明板は、次のとおり。
私は知覧町で訪問先を間違っていた。打出口集落にある現地写真は後日、宮崎市贄田様に撮影をお願いし送ってもらったものである。

御伊勢ドンの灯籠 おいせ
南九州市 打出口 石常夜灯 高1.24m 文政5(1822) 市教委(文化財ガイド・知覧p120) 移設・展示 伊勢信仰→集落に小さな御伊勢様を勧請した/角柱状の竿石上部に正方形の開口部 2 C

御伊勢ドンの灯籠 (現地説明板)
文政5年(1822)に建立された石灯籠です。地元の伝承では、伊勢神宮に参詣したのを記念して建てたのだとされています。御伊勢様を信仰する余り、集落に小さな御伊勢様を勧請して建てたのでしょう。この辺りの地名を「おいせどん東」と言います。御伊勢ドンとはもちろん現在の三重県伊勢市にある伊勢神宮のことです。元々は国家祭祀の場でしたから、平安時代などは極限られた宮中の人々の信仰対象でした。時代が鎌倉・室町と下ってくると、その信仰が武士の間にも広がり、江戸時代には庶民へも広がって行きました。人々は伊勢神宮に参詣するために講を作り、少しずつお金を積み立てて、代表者を参詣に送り出しました。
知覧でも伊勢信仰は盛んだったようで、上郡、桜の元にも伊勢神社があります。また海岸部の南別府竹迫には御伊勢講に使われた、御神体・小祠(しょうし)・太鼓などが残されています。 

相之浦の掘割り  南九州市知覧町南別府 ( 鹿児島県 )

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相之浦の掘割り  南九州市知覧町南別府

サイト「近世以前の土木・産業遺産」鹿児島県リストによるデータは、次のとおり。後ろは「相之浦」現地説明板から。満潮時写真は、後日、宮崎市贄田様が訪ねて撮影。

相之浦の掘割り あいのうら
鹿児島/南九州市 東塩屋 すべり 幅約5m 江戸期 市教委(文化財ガイド・知覧p162) 保存状態やや良好 艀を引き上げるため、海岸の岩盤を開削した斜路/現存例は極めて稀 2 B

相之浦(東塩屋の海運業)
東シナ海に面し、硫黄島や遠く屋久島まで望め、河口を利用し陸地へ深く切れ込んだこの港は、相之浦・藍之浦・逢之浦・饗之浦などいくつかの表記を持つ江戸から明治にかけて海上交易で栄えた港です。
わずか4Km余りの知覧町海岸には、古くから交易のあったことを示す史跡が多く残されています。港の岩をくり貫いて、もやい綱を結びつけるための「めくい」、13世紀からの貿易陶磁器の散布地、海運の繁栄を思わせる蔵の並ぶ町並み、交易船の往来を管理した浦役所跡、琉球から伝えられた石敢當、船から荷を揚げるために岩場を掘り下げた掘り割りなどがそうです。
東塩屋で1月3日に歌われる「乗り初め歌」は、中世からの「御船歌」の影響がうかがえるとか、平安時代に僧俊寛が鬼界ケ島(現在の硫黄島)に流された逢之湊は、この湊ではないかという興味深い意見もあります。

番所鼻自然公園  南九州市頴娃町別府 ( 鹿児島県 )

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番所鼻自然公園  南九州市頴娃町別府

南九州市HPの観光施設・観光地による説明は、次のとおり。

番所鼻自然公園(南九州市頴娃)

日本地図作成のため全国を実測した伊能忠敬が「天下の絶景」と絶賛した景勝地。伊能忠敬がここ番所鼻を測量で訪れたのは1810年,66歳の頃でした。この地に立つ石碑は,これを記念して昭和31年に建立されたもので,当時の首相・鳩山一郎氏の書による「伊能忠敬先生絶賛の地」と文字が刻まれています。

<見処スポット>
①竜の落とし子〜吉鐘(祥)〜
目前の海には,「竜の落とし子」が棲んでいます。昇竜を連想させるその姿から,しばし「幸運の守り神」とされますが,メスから授かった卵をオスのおなかの袋で大切に育てて出産するその珍しい生態や夫婦仲がよいこともあり,古より「竜の落とし子」には安産や子宝など,五つの吉祥ありと伝えられてきました。
②海の池
数十万年前の火山活動とその後の浸食で形成された天然の岩礁で,自然にできた「海の池」。その中には「竜宮城への入り口」があったと伝説が残ります。干潮時には歩いてぐるっと回れる「海の上のさんぽ道」となりますが,満潮や高波の時は歩くことができませんのでご注意ください。

伊能忠敬賞賛の番所鼻自然公園

「薩摩半島の最南端に位置し、開聞岳、また水平線はるかに屋久島、竹島、硫黄島、黒島等を眺望できる風光明媚な所です。
江戸時代、わが国最初の正確な実測地図を作った「伊能忠敬」が当地を訪れた際、この海岸から開聞岳を一望する景観を「けだし天下の絶景かな」と賞賛したという史実を記念して「伊能忠敬記念碑」が建立されています。」   頴娃町教育委員会

以下は、番所鼻自然公園のタツノオトシゴハウスHPから

かつて薩摩藩の番所(検問所)が置かれていたことから、このように呼ばれる様になりました。
江戸時代の番所は人やモノの流れをチェックする重要な役割を担っていましたので、番所があったということは交通の要所であった証。実はこの地は昔は船着場で、農産物や日用品を運ぶ船が頻繁に出入りしていた場所でした。なお、一般的に「番所」=「ばんしょ」と呼びますが、当地は「ばんどころ」と呼びます。

(2016年9月22日 追 記)
伊能忠敬賞賛の番所鼻については、入江氏から次の教示があった。

番所鼻について『測量日記』を再度調べましたが、「番所鼻」あるいは「番所崎」という文字は出てきません。文化7年7月13日に郡村を出発し、二手に分かれて測量しています。しかし、伊能忠敬は前日より持病の為、測量には参加していないようです。西別府村東塩屋まで測り知覧浦に泊まっています。
7月15日に面白い話が『測量日記』に出てきます。
此坊津岬は九州一の絶景と云伝。八景あり。田代落雁、御崎秋月、網代帰帆、中島晴嵐、松山晩鐘、鶴崎暮雪、深浦夜雨、亀浦夕照。後人の作か。眺望するに九州一とも云難し。
坊津岬の方を地元の人は九州で一番だと伝えていたようです。忠敬は家作を褒めることは時々あるのですが、風景を褒めることはめったにありません。島原の方で、庭の松を褒めたことは知られています。番所鼻の話は地元の史料にある話なのかもしれません。伊能忠敬のことを悪く扱っているわけではないので、良しとしましょう。