月別アーカイブ: 2007年6月

脇岬のビーチロック 県指定天然記念物 

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脇岬のビーチロック 県指定天然記念物

関寛斎「長崎在学日記」に、文久元年(1861)4月4日朝、脇津の宿を出発し、近くの海にある棚瀬のビーチロックを見に行ったが、潮が満ちていて見られず、次の話を聞いたのみとある。
「往古蒙古の船此處に破變し化石となりて其木板帆柱の形を在す」

棚瀬は脇岬海水浴場の東南端に干潮時に見られる。日南海岸の鬼の洗濯岩と同じで、形成には石灰質すなわち珊瑚が関係し、日本ではあまり見られず、ここは国内で規模が大きく県指定天然記念物となっている。

蒙古襲来については、「野母崎町郷土誌」に次のような記述がある。
「弘安4(1281)年、蒙古襲来の時に、この円通寺から霊火が飛んで、南北に10里あまり連なり、陸に上ることができずにいるうちに暴風雨が吹いて船は沈没した。これらの船は折り重なって瀬になり、今でも残っているという話がある。(中略)
野母崎に残る話は、九州西方の海域が江南軍の進攻、退去の経路となっているので荒唐無稽と片付けるわけにはいかないので、言い伝えのとおり収録した。」

長崎市飯香浦町 甑岩東南の「韓甫石」

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長崎市飯香浦町 甑岩東南の「韓甫石」

昭和13年「長崎市史」に記す甑岩東南にある「韓甫石」という珍しい陰陽石。「傳へて謂ふ韓甫は右巨人の名で石は其の精気の凝りてなったもの」「観るものを笑を催さゞるはない」とあって探しに行った。地元では「まらいし」と言う。
「長崎名勝図絵」には「韓羅石」で紹介されている。

「日吉青年の家入口」バス停から右の標識のある市道上線に入り、約700mほど下った三叉路の道下植林前に見える。

「十五様」祠   小浜富津弁天公園と長崎茂木赤崎鼻にもあった

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「十五様」祠  小浜富津弁天公園と長崎茂木赤崎鼻にもあった

天草の漁民信仰「十五様」(じゅうごさま:阿蘇ネットワーククラブHP「天草の歴史」がある)の石祠が、長崎の富津と茂木にもあることがわかった。天草の歴史と深い結びつきがあり、海上交易や時の属地がもたらした関係と思われる。

小浜町・小浜町教育委員会「おばま—史跡巡りガイド—」平成11年刊の説明は、次のとおり。
●じゅうご様
弁天山公園の先端に祭られている。ジュウゴ様と呼ばれる漁の神様は竜宮神から発していると思われる。祭地には石の祠堂が2つあり、昔から祭られている方の祠には自然石が納められている。
漁師は、沖に出て釣り糸を入れる時「ジュウゴ様」と言って縁起を担いだという。他の漁師町でも「ジュウゴサン」等同じ信仰がみられた。

太田尾町山川河内の道案内標石

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太田尾町山川河内の道案内標石

長崎市太田尾町にある。県道の集落入口看板のあるところから約700m入った「山川河内公民館」手前にある大正12年建立の古い道案内の標石。

道脇に転がっていて、3面に刻面があった。寸法 20cm角、62cm角。
正面 長崎道 大正十二年一月十七日建立
右面 茂木道 一夜講習記念
裏面 矢上道 山川河内青年団

この標石は、長崎市茂木支所保管の昭和33年発行「茂木町郷土史」に記録があり、現地に探しに行って現存を確認した。

雲仙 普賢岳・妙見岳  平成19年5月

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雲仙 普賢岳・妙見岳  平成19年5月

普賢岳山頂の標石は、脇面に英字と「温泉岳」と表記がある。雲仙は外国人保養地だった。
山頂北の石壁は、秘密に包まれた太平洋戦争当時の戦争遺跡で、電探基地の跡である。
仁田峠からあざみ谷・普賢岳・妙見岳へと歩いた。国見分れ付近の山肌は、美しいミヤマキリシマの群落だった。