とおしめ・跡 龍郷町浦
サイト「近世以前の土木・産業遺産」鹿児島県リストによるデータは、次のとおり。国道58号の龍郷町役場前交差点あたりの所。役場前に「浦の橋立」説明板と、国道海岸側に「とおしめ」標柱と「とおしめの由来」銘板がある。ここから「とおしめ」の陸側の通し穴が覗ける。
国道から下るパイプ階段は、船着場用のよう。海側の通し穴までは、干潮時にしか岩場を渡れない。満潮時には、裏の海岸に回って突堤先端から確認できる。
とおしめ・跡
(大島)龍郷町(奄美大島) 素掘トンネル(排水路) 享保6(1721)頃着手 WEB(みさき道人) 非現役/陸側・海側とも素掘の状態で残るが、写真は海側 田畑佐文仁による干拓による新田開発(干拓堤防の長さは550m程度)の一環として造られた排水用の「通し穴」/現地解説板には「海水の出入りを調節するため」とあるが、水田に塩水は不要なので意味不明→干拓地の排水樋門の役割を担っていたと思われる(満潮時に締め切り、干潮時に悪水を排水) 2 C
国道海岸側の「とおしめの由来」碑文は、次のとおり。
とおしめの由来
奄美では通し穴を「とおしめ」とよぶ。古い民謡で「真浦のとおしめ」と歌ったのはこのトンネルのことである。およそ二百五十年前、島の開拓の祖田畑佐文仁翁はこの上手に新田をつくるため、堤防を築き海水の出入りを調整するとおしめを掘った。難工事だったが多くの人々の力を結集して貫かれた。小山の上には鎮護を祈って弁財天が祭られたという。
昭和四十四年十一月十五日