加々鶴新道・跡  日田市高井町川下 ( 大分県 )

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加々鶴新道・跡  日田市高井町川下

サイト「近世以前の土木・産業遺産」大分県リストによるデータは、次のとおり。かんぽの宿日田を出発し、日田バイパス国道210号により西へ日田市高井町川下の加々鶴トンネルまで行く。
日田側のトンネル入口約300m手前の街道登り口に、高さ1.5mほどの「加々鶴新道碑」(文化2 (淡窓)廣瀬簡撰、雲霞道人書)が立っていたはずだが、地元に聞くとどこかへ移設されていて見当たらない。
http://hizou.30maps.com/map/65504
石畳道はトンネル反対側からの道にわずかに残っているらしいが、もう荒れても歩けない道になっているという。筑後川側のトンネル外となる歩道を進むと、出口先に宗像神社があった。

加々鶴新道・跡 かかづる
日田市 (高井町川下) 道路・石畳道 文化2(1805) 市教委 わずかに痕跡が残る 日田代官・羽倉權九郎が、石井村の豪農・樋口安左衛門謙言に命じ、費用も支給して新道を開設→嘉永6(1853)に隈の田中町の豪商・山田常良が石畳に改修 4 B