大宰府条坊跡朱雀大路(立明寺地区)  筑紫野市立明寺 ( 福岡県 )

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大宰府条坊跡朱雀大路(立明寺地区)  筑紫野市立明寺

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり。筑紫野市の県道112号六反交差点近く、イタリアンレストラン”ポルタータ”駐車場奥に史跡説明板があった。現地一部展示史跡指定地は、筑紫野市HPのとおり立明寺地区とあるが、市史跡の写真は良く見ると、史跡説明板のこの場所である。
筑紫野市教育部文化情報発信課に確認すると、ここに間違いなく、草刈りは6月にしかしないと言う。史跡指定地のため私が勝手に草刈りするわけにはいかず、市へ画像提供を依頼してきたので、とりあえずは、現況写真をそのまま載せる。

大宰府条坊跡朱雀大路(立明寺地区) だざいふ、すざく
筑紫野市 道路 延長約2㎞,幅35.6m 奈良時代 市史跡 市教委 ごく一部(西側溝の一部)のみ現地展示 古代の代表的な大路(道幅は、平城京や平安京の朱雀大路の半分)/ 「大宰府」と標記したのは、歴史的名称と文化財指定名称に従ったため 4 B

筑紫野市HPの「文化財・芸術・歴史」による説明は、次のとおり。 

大宰府条坊跡朱雀大路だざいふじょうぼうあとすざくおおじ[立明寺地区](市史跡)

大宰府政庁が現在の都府楼跡といわれている場所に置かれたのは、我が国が朝鮮半島の白村江において、唐・新羅に大敗した天智てんじ2年(663)の直後です。以降、大宰府は軍事拠点としてだけではなく、九州を統括するための重要な役割を持ち、政治・経済・文化の面でも強く中央の影響を受けていました。平城京や平安京と同じように、碁盤の目のような方形の都市計画がなされ、その規模は南北22条(約2.4キロメートル)、東西(約2.6キロメートル)で、政庁の全面から南北に条坊の基準となる大きな道が設置されました。その道は朱雀大路とよばれ、幅は約35メートルもありました。
この遺跡は、朱雀大路の西側溝の一部にあたる重要な遺跡であるため、指定して恒久的に保存されることになりました。なお、史跡名の立明寺地区は、旧大字二日市内にあった小字名にもとづく名称です。
[『筑紫野の指定文化財』より]
写真 朱雀大路の西側溝の一部
このページに関するお問い合わせ先 担当部署: 教育部 文化情報発信課